主題が作品を取り巻く世界を規定する魔術 作品と、作家の人となり、あるいは、作家の置かれた環境は、すべて一体である。これは、文学に限らず、あらゆる分野に当てはまる真実であるはずだが、文学は、その媒体が、文字であるだけに、そういう理解が容易であるように思う。 さて。 春琴抄である。この、新潮文庫版の脚注に、間違うにもほどがある、という、桁外れにひどい間違いがある。 文春文庫版には脚注がないので、そういう間違いが起こりようもない。 脚注は、近代日本文学専攻の学者が書いていることになっているのである。碩学の脚注に文句をつけられる立場にないことは、百も承知、二百も合点であるが、この間違いは、解釈の違いなどという幅を持たせることもかなわないほど、徹底的なものなのである。 佐吉が、失明の経緯を、春琴に説明している場面。 「……お師匠様を苦しめて自分が無事でおりましては 何としても心が済まず 罰が当たってくれたらよいと存じまして 何卒わたくしにも災難をお授け下さりませ こうしていては申訳の道が立ちませぬと 御霊様に祈願をかけ 朝夕拝んでおりました 効があって 有難や 望みが叶い……」 「御霊様」に脚注がつけられており「御霊様 ここでは先祖のたましい、守り本尊の意。」とある。 なんだこれは?ぶっ飛んでいるにもほどがある。この後には「定めし 神様も私の志を憐れみ 願いを聞き届けて下すったのでござりましょう」と続くので、佐吉が祈願をかけて朝夕拝んでいた対象は「神様」であることは明白であり、コンテクストのみに典拠を求めて脚注をつけたとしても「先祖のたましい、守り本尊」など、かけらも出てくるはずもないのだ。 道修町の鵙屋から独立して、春琴が居住していたのは、淀屋橋。御霊神社がある淡路町は、道修町からも淀屋橋からも目と鼻の先である上に、商家からの崇敬を集めていた御霊神社境内には、御霊文楽座があった。琴三絃を生涯の仕事とした佐吉が御霊様と呼ぶ神様が、御霊神社でなくて、先祖のたましいや守り本尊なのだとすれば、もはや、春琴抄の世界自体が根底から瓦解していることになる。先祖のたましいだとか、守り本尊だとか、この話の、一体どこから出てきたんだ?そもそも守り本尊って、一体なんなんだ?佐吉に、先祖のたましいを大切にする、そんな思想があるなら、彼は、人生の最初に定められた通り薬種商になったはずで、そんな思想から完全に自由な人間だったからこそ、春琴とともに芸能の世界に生きたわけで。 そもそもが、佐吉の説明自体、自ら失明するように行為したことを伏せた言い訳に過ぎないが、そうだとして、道修町に生まれ育った春琴に説明するのに、御霊神社の霊験と、佐吉個人の先祖のたましいや守り本尊の霊験と、どちらに説得力があるか、考えるまでもない。 脚注は、ご丁寧にも、注解とタイトルがつけられている。一応は、東大文学部長になったひとだし。東大で近代専攻で初めて教授になったひとだし。それは、そうなんだが。 なぜ、地図すら見ずに、こんな注解をつけたか、と思う。文庫本なんぞ、この程度の注解でよいと、そういうことか?まあ、そうなんだろうな。そもそも、誰かに書かせた可能性すらある。その可能性は大だ。院生とか、助手とか。注解がなければ谷崎が読めないような無教養な読者には、東大の研究者が適当に書いた注解で十分だ、ありがたく思え、と。新潮文庫の谷崎の作品すべてに、注解をつける仕事が来たなら、それは、そうなるだろう。研究室総出でやることになるはずだから。そうだとして、文責は、名前の残る当のご本人にあるのだ。 このぶっ飛んだ脚注を書いたことになっている人物の太陽サインは山羊座なのである。本当に、いやになる。 いずれにせよ、この脚注を書いた、はずの人物、本当に書いた人物、いずれも、谷崎が見た世界、大阪の景物は何も見なかったことは間違いない。現実にその場に足を運ばずとも、地図でも写真でも、いくらでも、谷崎の、いや、春琴の、佐吉の、生きた世界を考える手立てはあったろうに。 優れた作品の注解をするという、名誉ある仕事に携わった人間に、その作品の拠って立つ世界が見えていないということ。谷崎が描いた盲目の世界に、注解をつけた人間までもが、取り込まれていくという魔術。 春琴抄が、本当にすぐれた作品であることが、主題が、作品の内容を離れて、作品に関わるすべての事象に及ぶことで証明されたと、そう考えてもみる。 #book #text #context #commentary #footnote #tanizakijunichiro #junichirotanizaki #shinchosha #shinchobunko #本 #文庫本 #テキスト #文脈 #注解 #コメンタリー #脚注 #谷崎潤一郎 #新潮社 #新潮文庫 #春琴抄 #御霊神社 #間違うにもほどがある

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桂のインスタグラム(astrology_tarot) - 9月7日 08時24分


主題が作品を取り巻く世界を規定する魔術

作品と、作家の人となり、あるいは、作家の置かれた環境は、すべて一体である。これは、文学に限らず、あらゆる分野に当てはまる真実であるはずだが、文学は、その媒体が、文字であるだけに、そういう理解が容易であるように思う。
さて。
春琴抄である。この、新潮文庫版の脚注に、間違うにもほどがある、という、桁外れにひどい間違いがある。
文春文庫版には脚注がないので、そういう間違いが起こりようもない。
脚注は、近代日本文学専攻の学者が書いていることになっているのである。碩学の脚注に文句をつけられる立場にないことは、百も承知、二百も合点であるが、この間違いは、解釈の違いなどという幅を持たせることもかなわないほど、徹底的なものなのである。
佐吉が、失明の経緯を、春琴に説明している場面。
「……お師匠様を苦しめて自分が無事でおりましては 何としても心が済まず 罰が当たってくれたらよいと存じまして 何卒わたくしにも災難をお授け下さりませ こうしていては申訳の道が立ちませぬと 御霊様に祈願をかけ 朝夕拝んでおりました 効があって 有難や 望みが叶い……」
「御霊様」に脚注がつけられており「御霊様 ここでは先祖のたましい、守り本尊の意。」とある。
なんだこれは?ぶっ飛んでいるにもほどがある。この後には「定めし 神様も私の志を憐れみ 願いを聞き届けて下すったのでござりましょう」と続くので、佐吉が祈願をかけて朝夕拝んでいた対象は「神様」であることは明白であり、コンテクストのみに典拠を求めて脚注をつけたとしても「先祖のたましい、守り本尊」など、かけらも出てくるはずもないのだ。
道修町の鵙屋から独立して、春琴が居住していたのは、淀屋橋。御霊神社がある淡路町は、道修町からも淀屋橋からも目と鼻の先である上に、商家からの崇敬を集めていた御霊神社境内には、御霊文楽座があった。琴三絃を生涯の仕事とした佐吉が御霊様と呼ぶ神様が、御霊神社でなくて、先祖のたましいや守り本尊なのだとすれば、もはや、春琴抄の世界自体が根底から瓦解していることになる。先祖のたましいだとか、守り本尊だとか、この話の、一体どこから出てきたんだ?そもそも守り本尊って、一体なんなんだ?佐吉に、先祖のたましいを大切にする、そんな思想があるなら、彼は、人生の最初に定められた通り薬種商になったはずで、そんな思想から完全に自由な人間だったからこそ、春琴とともに芸能の世界に生きたわけで。
そもそもが、佐吉の説明自体、自ら失明するように行為したことを伏せた言い訳に過ぎないが、そうだとして、道修町に生まれ育った春琴に説明するのに、御霊神社の霊験と、佐吉個人の先祖のたましいや守り本尊の霊験と、どちらに説得力があるか、考えるまでもない。
脚注は、ご丁寧にも、注解とタイトルがつけられている。一応は、東大文学部長になったひとだし。東大で近代専攻で初めて教授になったひとだし。それは、そうなんだが。
なぜ、地図すら見ずに、こんな注解をつけたか、と思う。文庫本なんぞ、この程度の注解でよいと、そういうことか?まあ、そうなんだろうな。そもそも、誰かに書かせた可能性すらある。その可能性は大だ。院生とか、助手とか。注解がなければ谷崎が読めないような無教養な読者には、東大の研究者が適当に書いた注解で十分だ、ありがたく思え、と。新潮文庫の谷崎の作品すべてに、注解をつける仕事が来たなら、それは、そうなるだろう。研究室総出でやることになるはずだから。そうだとして、文責は、名前の残る当のご本人にあるのだ。
このぶっ飛んだ脚注を書いたことになっている人物の太陽サインは山羊座なのである。本当に、いやになる。
いずれにせよ、この脚注を書いた、はずの人物、本当に書いた人物、いずれも、谷崎が見た世界、大阪の景物は何も見なかったことは間違いない。現実にその場に足を運ばずとも、地図でも写真でも、いくらでも、谷崎の、いや、春琴の、佐吉の、生きた世界を考える手立てはあったろうに。
優れた作品の注解をするという、名誉ある仕事に携わった人間に、その作品の拠って立つ世界が見えていないということ。谷崎が描いた盲目の世界に、注解をつけた人間までもが、取り込まれていくという魔術。
春琴抄が、本当にすぐれた作品であることが、主題が、作品の内容を離れて、作品に関わるすべての事象に及ぶことで証明されたと、そう考えてもみる。

#book #text #context #commentary #footnote #tanizakijunichiro #junichirotanizaki #shinchosha #shinchobunko #本 #文庫本 #テキスト #文脈 #注解 #コメンタリー #脚注 #谷崎潤一郎 #新潮社 #新潮文庫 #春琴抄 #御霊神社 #間違うにもほどがある


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