ナガイケジョーのインスタグラム(joenagaike) - 10月29日 12時12分
移動時間退屈返上小説
「痩野低音旅日記」
忘月忘日
秋田にて。
ここはライブハウス巣韻弗。
結局今日もコンビニで買ってきたパスタを食べている。
お昼過ぎ。いつも通りの楽屋の風景。無言。背後からは理井田さんが爪弾くギターの甘い音色が聴こえる。
カップのクラムチャウダーをすすりながら痩野は目の前でスネアドラムの皮を張り替えている亜風呂さんの姿をボンヤリと眺めていた。
皮を剥がれ、空洞だけになった銀色のスネアはまるで楽器であることを忘れてしまったかのようにポッカリと口を開けているようでだらしなく見えた。
そんなことを一向に構う様子もなく亜風呂さんは献身的な介護士のようにその銀色の胴体をせっせと磨き上げている。
痩野は思わず声を掛けた。 「それ、何でできてるんですか?」
「ん? あ、これ? 真鍮」
しんちゅう、と語気を強めた亜風呂さんの言い方は、当たり前でしょ? というくらいに妙な自信に満ち溢れていて、痩野は少々面食らいつつ、
「へー、他にも色々とあるんですよね、素材って…」とわざとらしく話題を広げてみせた。
「鉄もあるし、木もあるし、木にもまたいろんな種類があるからな」
亜風呂さんはこちらを見向きもせず、しかしよく聞いてくれたと言わんばかりに得意げな口ぶりで、「こっちは今、裏面張ってんだよ」とこちらが聞いていないことまで話し始めた。 「ふーん、それって古いんですか?」
「これは50年代くらいかなぁ」
「え!めっちゃ古いじゃないすか?」
「なに、知らなかったの? ドラムセットもあれ60年代のだよ」
楽器は古ければ良いというものでもないが、それって何年のですか? とバンドマン同士が話題にする時はなんとなく古い年代を答えた側の方が話を有利に進められるような暗黙のルールがある。
ベースで言えば60年代前半のジャズベース、あるいはプレシジョンベースなら50年代後半なんてケースも稀にあって、やはりその辺の機材を持っているベーシストは羨望の的。(と同時に「お高いんでしょ?」転じて「儲けてはりますなー」という発想にまで至ることしばしば。)
痩野のジャズベースは見た目こそオンボロだが70年代半ばのもの。さして自慢できる年代ではない。むしろ、その辺から敷衍駄亜社が大量生産期に入って作りが甘くなってくるんですよねぇ…とベース史の変遷に詳しいマニアの方はそんなご丁寧な解説を付け加えてくださることさえある年代。本当のことを言わなくていいこともある。
そこへ思いがけず50年代のスネアドラムを持っている逸材が目の前に現れた。
ドラムの世界でそれがいかほどの価値を有するものなのか、楽器が異なるので容易に判断はできないが、単純に考えても60年選手。正直そのスネアがそんな貴重なものだとは、普段の管理状況から鑑みて予想だにしていなかったが(亜風呂さんはわりと雑に扱っているように見受けられるが、それは機材への信頼と愛情の証だと今は解釈願いたし)、60年もの間、文句も言わず人に叩かれ続けているだなんて! バカなのか? 貴殿はもしかしたらただの愚か者ではあるまいか?
痩野は同情を通り越した憐れみの目でその円柱形をした銀色物質を改めて注意深く眺めてみると、なるほどこの老紳士はいかにも忍耐強そうな鈍色の光沢をその横顔に忍ばせ、さぁ叩きたくば叩きなさい、私は叩かれましょう、喜んで、と今なお叩かれることを望んで止まない強靭な志を全面から滲ませているようで、痩野は思わず息を飲んだ。
トントンと上下の皮を叩きながらその張り具合を調整し終えると亜風呂さんは「よし!」と立ち上がり、スネアを片手で無造作に持ち上げると颯爽とステージへと去って行った。
背後では手を休めることなく理井田さんが甘いギターを響かせ続けている。
早速ステージからはカンカンとスネアの音が鳴り響いてきた。まったくいつも通りの音でありながら、一撃一撃が力強くこの胸を打ちつけてくる。
あなたは今日も叩かれ、ビートを刻み、そうやってこれからも生き続けるのですね。
心の奥深くに新たな火種を灯されたようで、痩野は思わず立ち上がった。
さぁ今夜もいいステージになりそうだ。
手にしていたクラムチャウダーの残りを勢いよく飲み干すと、カップの底には溶け損ねたスープの粉末が所在なさそうにへばりついていた。(終) 【今日の登場人物】
痩野・・・痩せていることだけが特徴のベーシスト
亜風呂さん・・・アフロヘアのドラマー
理井田さん・・・甘いギターを響かせがちなギタリスト
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2017/10/29