小林拓一郎のインスタグラム(kobataku33) - 1月21日 23時25分
ホイットニー・ヒューストン
僕が物心ついた頃には、『ボディ・ガード』の大ヒットもあり、既に世界中の大スターでもあった存在。
その後、「マライアとの確執がある」だとか、「夫、ボビー・ブラウンともゴタゴタしている」とか、「薬物中毒ではないか?」などなど、彼女の負のイメージが報道されることが多く、そんなにのめり込んで聴いていたアーティストではなかっただけに、ゴシップをまんま受け取っていました。
なんなら、少し怖いイメージすらあったくらい。
イメージが変わったのは、98年にリリースされた『My Love Is Your Love』。 当時大好きだったWyclef Jeanがプロデュースしてたこともあって、大学時代にヘビーローテ。
そこからホイットニーの昔の曲を改めて聴くようになり、その頃活躍していたR&Bシンガー達と比べても圧倒的な歌声を持った存在だなと、改めて驚愕。
以来、好きなアーティスト。
ではあったけれど、彼女がどんな生い立ちで、どんな風にして大スターまで昇りつめていき、そして、あんなゴシップまみれになってしまったのか、この映画を観るまでは知らないことだらけでした。 『ホイットニー ~オールウェイズ・ラブ・ユー~』 お母さんもプロシンガーで、ずっと教会で歌うのが好きだった女の子。
デビューしたばっかりの頃も、家に帰るとずっとソファでゴロゴロするような普通の女の子。
決して「私を見て見て!」なタイプではなく、どちらかというと、そんなに欲深くもなく、愛嬌良く、みんなと仲良くしていたいタイプの女の子。
彼女の家族や親しい人は皆んな、「ホイットニー」とは呼ばず「ニッピー」と愛称で呼んでました。
後年の「ホイットニー」からは想像がつかない「ニッピー」の姿。
しかし、「ホイットニー」の歌が売れれば売れるほど、「ニッピー」を取り巻く環境は変わっていくわけです。
彼女は白人に寄りすぎていると、黒人団体にボイコットされたこともあったり。
映画の中で本当に印象的だったのは、 「彼女は、マイケル(ジャクソン)に家に呼ばれて、よく遊びに行ってたわ。でも、二人とも部屋ではほとんど喋ることなく、ただただ一緒にいるだけだった」
との証言が。
世界で誰もが注目する存在になって、誰も本当の気持ちを理解してあげられることができない中、彼らはお互いをわかりあってたし、そこに言葉はいらなかったみたいです。
この映画を観て、「自由」ってなんだろう?と、ふと改めて疑問に感じました。
アメリカって国がずっと声を大にして言い続けてる「自由(Freedom)です。
ホイットニーは、あれだけの大スターで、お金も地位も名誉もあって、なんでも手に入り、好きなように生きた。
それこそ手を出しちゃいけないドラッグにまで手を出して。
周りの人間も、ホイットニーを頼りにしなければ生きていけない環境だったから、そんなホイットニーを「自由」にさせた。
しかし、そんなホイットニーは、最後まで不自由に見えました。
映画を観てると、ホイットニーは幼少期の辛い体験やトラウマも”演じる”ことで乗り切ってきたそうです。
そして、彼女が売れれば売れるほど、”演じる”時間が増えていく。
かつて「ニッピー」と呼ばれた可愛らしい女の子は、いつしか「ホイットニー」を頑張って演じるようになって、演じれば演じるほど、「ニッピー」であることを求めたのかもしれない。 「ホイットニー」という生き方からずっと自由になりたかった人なのかもしれない。
だからこそ、あれだけどれだけ散々な目にあっても「家族」ってのものにこだわったのかもしれない。 「自由に生きる」ってことの意味を改めて考える映画でした。
そして、やっぱり「ホイットニー」の歌声は凄まじく、彼女が「ホイットニー」を演じてくれたおかげでこの声に出会い、救われた人間は世界中に数多くいて、今もなお愛され続けてるのも、また事実です。 「ホイットニー」の歌声に出会えて良かった。
ありがとう、ニッピー。
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2019/1/21