和田明日香のインスタグラム(askawada) - 5月12日 22時30分
Happy Mother’s Day.
わたしは、先月、母を亡くしました。
死亡届に書かれた死因は、「大動脈解離」。からだ中どこにも悪いところはなく、突然のことでした。
眠っているようにしか見えない母が、いつものようにいびきもかかず、鼻をつまんでもぴくりとも動かない。なにこの夢。目が覚めたら母に電話して「ねえ、ママが死ぬ夢みたよ。めっちゃリアルだった。」って、話さなきゃ。しばらくはその時を本気で待ちながら、夢か現実かわからぬ日々を過ごしましたが、少しづつ、どうやら覚めないらしいと、思い知っています。
冷静になって、まず思ったのは、バーバがいなくなっちゃったらこの子たちはどうするんだろう、ということ。3人の母親になっても未熟で不完全なわたしを、余るほど補ってくれていたのは、母です。わたしが母に会えなくなることよりも、母に子どもたちのこれからを見せてあげられないことが、悲しくて仕方ないのです。
家族や友人たちが、こころからの言葉をかけてくれました。わたしの拠り所は母だけではないし、母の思い出はわたしだけのものではない、みんなの中に残り続けるんだと思うと、とても安心できたし、あたためられました。「どこを向いてもあなたを支える人がいるよ」と言ってくれた人がいて、本当にそのとおりだと思いました。でもね。申し訳ないけども、どこを向いても辛い。事情を知らないタクシーの運転手さんとの会話の中にすら、母を感じて辛い。
一向に暗くてごめんなさい。悲しんでいても何も変わらないことはわかっているのです。でも、悲しむことをやめてしまったら、母のいない毎日にしかわたしの居場所がなくなってしまうようで、こわい。こんなわたしを母は望んでいません。困ったなあ。
誰かを傷付ける発言だとしたらごめんなさい。母を亡くして、災害や戦争で◯◯人死亡、と、数字だけで伝えられることの違和感を知りました。被害の大きさを伝える手段なのかもしれませんが、誰にもはかれないほどの悲しみを、まとめて何人分と言ってしまうことに、もう少しこころを添わせた伝え方はないのかなあと考えました。とくにそれが人の手によることならなおさら。もちろん、そんなこと、なくなってしまえば一番良い。
告別式が終わり、火葬場に向かう車に乗り込んだ瞬間、流れてきたのは、QUEENのBOHEMIAN RHAPSODYでした。母が大好きで、上映中は8回も映画館に観に行ったほど。運転手の叔母がかけたのかと思って聞いたら、「え、なんのこと?ラジオやで?」と。昼過ぎの良い時間帯に、あの長い曲が、フルで1曲かかりました。どう考えても母の仕業。音楽って、目に見えない力の集結だと思ってきたけど、ことごとく思い知らされた瞬間でした。
さて。
母の日の日曜の夜、暗くて長くて、申し訳ない。でも、これからもきっと、わたしは、わたしという人間のどこかに、この誰にも救われない、埋められない、暗くて出口のない場所をたずさえて、生きていくんだと思います。たまにそこにスポッと落ちて、光も音も反応もないけれど、母を感じとって力を帯びて、また這い上がって、生きていくんだと思います。母の分も、子どもたちや、世界に、愛を注げるように。
母の日。母には二度と伝えられないわたしからのラブを、みんなのおかあさん、ママに、かわりに届けてください!
[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)
marikoma6n
明日香さん。向日葵のような素敵な笑顔にいつも元気を頂いています。突然のことでご家族皆さまの悲しみはいかばかりかとお察し申し上げます。
私も昨年の4月に母を亡くしました。癌の闘病中でのことでした。一緒に暮らしておりましたので、その日から母の音や空気が我が家から消えました。とてつもない喪失感と、もっとこうしてあげていたらという自責の念に当時は押し潰されそうになっていました。ちょうど1ヶ月も経たないうちに愛犬も母の後を追うように旅立ち、立て続けに家族を見送った私は文字通り人生のどん底にいました。健康に生かされている身でありながら不謹慎ですが、自分の生きる意味を完全に見失ってしまったのです。
そんな時に周囲の方々から幾度も「命あるもの、最期のときはみな順番に巡ってくる」「神さまはいいひとほど早く連れて行ってしまわれる」という言葉をかけて頂き、ずいぶんと救われたことを今でも覚えています。手前味噌ながら、私の母はとても強くて優しいひとでした。まだ若かったですし、本人もまだまだやりたいこと行きたい場所沢山あったと思います。
明日香さんのお母様も笑顔がすごく素敵で、こんな自慢のお嬢さんもご立派に育てられて、可愛いお孫さんたちにも囲まれて、皆さまに慕われるそのお人柄が感じられます。そんな方が急に…どう考えても早すぎる、でもきっと神さまがお側に置きたくなってしまわれたのだと思います。
今はまだ大きな悲しみの中で、誰に何を言われてもお辛いだけかもしれません。寂しさは何年経ってもきっと消えることはないでしょう。こちらで沢山の愛に溢れたお言葉を紡いでいる皆さまもきっと同じお気持ちの方いらっしゃると思います。でもそれは絶望とは違います。いまだにどこか旅行にでも行っていて、ふらっと帰ってくるんじゃないかとそんな楽観的な気持ちになることもあれば、母がいない事実をきちんと受け入れて、それでもただただ会いたいなぁと、写真の中の母に泣きながら話しかけていることもあります。それでいいんだと思います。男性は皆マザコンとよく言われますが、女性だってそうだよなぁーと気付かされました。笑様々な親子関係があるとは思いますが、皆お母さんのことが大好きって胸を張って言える世界、平和です。
ただ幸いにも、最強のママを失った明日香さんも私も一人ではなく、側にいる大切なひとたちのありがたみをこういう時にあらためて感じられますよね。いつも感謝の心を忘れずに、わたしも自分の家族、そして明日香さんや同じ想いを抱えている皆さまともに、1日1日ゆっくり歩いていきたいです。また逢える日まで。
長文失礼しました。
お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。
momoimomoi
初めまして、突然のお母様の訃報にただただ驚きと悲しみで言葉がありません。。お母様のインスタも毎回楽しみで、フォローさせていただいておりました。何度かお返事も下さりました。
私の母は存命こそしておりますが、重度の認知症です。あんなに可愛がっていた孫達の事を「なんとも思わない」など言ったり、今だに変化に戸惑う日々、悲しくて悲しくて暗い穴に落ちることも。そして、身近に母を感じる事はいっぱいあります。
わたしにも子供が3人おりますが、1番ばあばといる時間が長かった長男は最初の頃、メンタルを壊してしまいました。今ではゆっくり現実を受け入れてはおりますが、まだまだ時間がかかりそうです。
でも、こういう状況だからこそ、私も子供達や家族、友人の有難さを見に染みて感じます。そして状況は違えど、明日香さんの気持ち、痛いほど分かります。
お母さんへの感謝の気持ち、きっと届いていると思います。
ゆっくり、明るい笑顔取り戻してください✨
私もお母様、大好きです。
応援しています。
gakoemi
私の母は97歳で昨年2月に亡くなりました。母は当時は珍しかった42歳の時に、私を高齢出産で生みました。ホームに入居していましたが、亡くなる前日まで会話もできて「またね」と手を振ってくれました。97歳という年齢ならば、天寿を全うした人生だと思っても、悲しく寂しいです。もう私は56歳ですが、私にとっ今でも母がいるような感覚が消えません。お寺に嫁いている友人から「その寂しさや悲しさが薄まるには、年月が必要。悲しいときはそう言っても良いのよ」と言われました。私はメディアで拝見する、あすかさんの明るい快活さが大好きです、きっとお母さまはずっとあすかさんの傍にいて、守って下さるはずです。お母さまにとって、あすかさんはご自慢の娘さんであることを、忘れないでいてください。応援しています。
yuhi__inoue
明日香さんこんにちは。明日香さんのファンで、イベントにも何度か参加させて頂いた者です。お母様のインスタも時々覗かせて頂いていました。 あまりに驚いて、そして悲しくて、言葉が見つかりません。 私は去年の4月に、大切な友人を突然亡くしました。1年経ってもまだ自然と涙が出てきますし、心にぽっかり穴があくとはこのことか、、と感じている日々です。明日香さんは今はまだ、悲しみの底にいらっしゃると思いますが、いっぱいいっぱい悲しんでいいと思います。どうぞ無理なさらず、お体だけはご自愛ください。 そして私も、普段照れ臭くて母に伝えられていなかった感謝の気持ちをきちんと伝えていこうと思います。 これからも明日香さんを応援しています。いつか笑える日が来ますように。。
kamy.t_kamy
お母様のご冥福をお祈りします。
私も、去年の11月末に母を亡くしました。私の母は、3年ほど入退院を繰り返していて、その間に色々話をする時間がありましたが、明日香さんのお母様は突然だったんですもんね😢
聞きたいこと、言いたいこと、一緒に行きたいところ、したいこと、色んなことが一瞬でできなくなる悲しみは、計り知れないと思います。
母の姉が、火葬する前に「夢で会いましょう」って言っていました。たまに夢で会ってます。
思い出して、泣いてもいいんです。時間はかかります。一生心が癒えることはないかもしれません。それでも、今、明日香さんは生きているんです。
後悔のないように、毎日を過ごして下さい。
私は、今年の母の日に、いちご大福をお供えしました🍓
you10005
わたしの母も結婚が決まってすぐに急にこの世から去ってしまいました。結婚式にいるはずの、孫を抱いてもらうはずの母がいない現実……今でも普通に現れるんじゃないかと思いながら13年たちます。わたしがいくつになっても母が偉大だということは決して変わらないんだなと思い出すたびに思います。果たして私は子どもたちにもいつか同じように思ってもらえるんだろうかと、、、あすかさん多分時間かかります。でもそれで良いんだと思います。それだけ偉大だったということ。そしてそんなお母さんの子なんだからきっと大丈夫。
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