藤岡幸夫のインスタグラム(sachio_fujioka) - 6月5日 09時33分


本日6月5日は僕の師匠の故渡邉暁雄先生のお誕生日です。
2006年5月に書いた文章です。
後年、のだめカンタービレの映画版でこの文章の一部がそのままセリフになっていてしかも同じプラハの国際コンクールでびっくりしました(^-^;
(字体の大きさ他レイアウト演出は当時のHP管理人さんによる)

1990年5月のゴールデンウィーク、
27歳で生まれて初めて外国へ飛び立った。 「プラハの春」音楽祭の期間中に4年に一度だけ開催される国際指揮者コンクールに出場するためだ。

生まれて初めての外国

生まれて初めてのコンクール

生まれて初めてのプロオーケストラ

僕にとって何もかもが初めてで、それでも緊張よりワクワクしながら、生まれて初めて国際線の飛行機に乗った。

コンクールは2週間近くかけて行われる大きなコンクールで、審査員もクーベリックやノイマンといった名指揮者達。優勝者にはいろいろな契約が待っていた。

僕は一次審査を通過した時点で、生まれて初めて自信をつけたのをよく覚えてる。

絶好調の僕は二次審査も通過、最終ラウンドの4人(中国人、ブルガリア人、とイタリア人だったと思う)のファイナリストの一人に選ばれた。

僕は絶対優勝すると誓っていた。

日本では僕の師匠の渡邊暁雄先生が病院のベッドの上で闘病を続けながら僕の結果を楽しみにしていたのだ。
僕は先生の内弟子となってから5年間、寝食をともにするようにして勉強していた。
僕を弟子として以上に、まるで息子のように可愛がってくださった渡邊先生の喜ぶ顔をどうしても見たかったのだ。

ファイナルラウンドはオーケストラも放送響から名門チェコフィルに代わり課題曲もドヴォルザークにマーラーと大曲だ。

超満員のコンサートホールにテレビカメラ。

僕は自信満々だった・・・。 しかし、結果は「優勝者無し」で僕はただの入賞だった・・。 どんな顔をして先生に報告したらいいかわからないまま空港から病院に直行した。

病室に入ると渡邊先生はベッドの上でニコニコしながら、 「サッチーノ!(先生は僕をそう呼んでいらした)
 優勝しなくて本当に良かったよ!
 僕はね、キミが優勝しないように神様にお祈りしてたんだよ。
 今優勝したら天狗になるだろ。まだまだ早いよ。」 先生は本当に僕のことをよく理解していたのだ。

病院を出た瞬間・・ その年初めて
夏の香りがした・・・ 大好きな夏の香りを感じながら
デヴューできるまで
大好きな夏を忘れることを心に決めた。

6月
僕を息子のように可愛がってくださった先生が他界した。

生まれて初めて号泣した。

9月
イギリスに留学 「まだまだ早いよ」

この言葉の意味をいやというほど思いしらされる。

でもそのおかげで、デヴューできるまでの3年間無我夢中で勉強できた。

この時期、夏の香りがすると必ず思い出す大切な思い出です。  2006年5月19日


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2019/6/5

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