野久保直樹さんのインスタグラム写真 - (野久保直樹Instagram)「* 甲子園もベスト4が出揃った‼️ 終わりが近づく中、今日もいい試合しかなかった😭 毎日、選手始め、応援する吹奏楽や生徒の方々や観客、審判団、高野連の方々、実況、解説の方々、阪神園芸の皆様、高校野球の全てに関わる方々、お疲れ様です!! お陰で毎日感動を頂いております🙇 * ⚾️〜あの夏の記憶〜⚾️ * 第四回目の本日は、「友との約束」と題しまて、23年前にplay Back‼️ 友の名は、松本勉。 高校野球ファンなら言わずと知れた名プレイヤー。 あの松坂世代に横浜高校で唯一、2年生レギュラーとして出場。 春夏連覇の立役者である。 彼との出会いは、中学2年時。 僕は浜松シニア 、彼は中本牧シニア 。 お互い2年生からレギュラーで出場していた為、顔を合わせることが多かった。 彼の第一印象。 なんだこのうまい守備…同い年でこんな奴いるのか… という印象だった。 とにかく上手すぎる。 そこにボールが飛んで行けばもう望みはない。 出来るとしたら、エラーでもしてくれと祈るくらいである。  それくらいの鉄壁な守備。 そんな彼とは2年の全国の決勝でも戦って負けている。 3年時もチームとして勝ったことがない… しかし、ライバルでありながらも仲は良かった。 静岡と神奈川、中学生にしたらあの時代は携帯も持っていなかったから試合で会った時に話すしかない… そんな友と3年時、とある約束をした。 それは、「横浜高校で一緒に甲子園目指そう!!」 というものであった。 恥ずかしながら、僕は浜松シニアに入ってから、横浜高校に行くと決めていた。シニアの先輩も多数行っており、何より、一つ上の先輩でもあり師匠と崇める後藤武敏さんが行ったことも理由の一つだ。 僕も楽しみだった。 あんな飛び抜けて上手い同級生と一緒に野球が出来るなんて楽しいだろうなと… そんな3年の冬に、僕は人生の一つの決断を下さなければならなかった。 それは、横浜高校進学を諦めなければならないということ。 理由は言うまでもない。 自分の力が足りなかったからである。 三年間野球をするからにはゲームに出たいの言うのは、誰でも同じ。 横浜は層が厚い上に全国のバケモノの集まりだ。 そこへ挑戦しプロを目指すよりも、静岡の高校で1年からゲームに出て目立つ存在になればスカウトの目にもとまりやすいと考えた。 僕は甲子園はあくまで通過点で、最終目標はプロになることであった。 結果、友との約束を破ってしまったのである。 時は流れ、2年の春に横浜高校と練習試合があった。 チームは松坂さんに17奪三振を食らった記憶は鮮明に覚えている。 昼休憩の時、横浜ベンチに一人で遊びに行き、友と再会したのである。 「ここに居なくてごめん…」 そんな会話をしながらも、師匠の後藤さんとも再会、懐かしい面々に次々と会うことができ、テンションが上がり喋り倒して1時間の休憩はあっという間に過ぎ去っていった。 その後の彼の活躍は言うまでもない。 そんな彼は法政に進み、僕は野球を辞め芸能界を目指し上京。 連絡先もわからないままずっと会うことなく時は過ぎた。 23歳の冬にまた劇的な再会をするのである。 僕はPRADAのドアマンをしていたことはテレビなどで話しているが、実は青山のGUCCIにもいたことがあるのだ。 ドアマンとして立っていると、一人の男が声をかけて来たのである。 「野久保??」 直ぐに彼だとわかった。 変わってない、変わってないから、変わってない。 変わってない言い過ぎじゃない? そう思った方、YouTubeで「二億四千万 古賀シュウ」と検索して頂ければ幸いです。 再会は高校2年の時以来である。 そこから連絡先を交換し、今でもずっと仲がいい。 そんな友がいることが凄く幸せであり、色んな縁を繋いでくれる。 お陰で沢山の野球人と知り合えた。 彼には感謝している。 この先も関係は変わらない。 自分がこの世界で活躍する事で恩返しが出来ればと願う今日この頃であった。 〜終わり〜 * #浜松シニア #中本牧シニア #友 #友情 #物語 #再会 #腐れ縁 #youtube #古賀シュウ #PRADA #GUCCI #ドアマン #me #friends #tbt」8月18日 20時27分 - naoki_nokubo

野久保直樹のインスタグラム(naoki_nokubo) - 8月18日 20時27分



甲子園もベスト4が出揃った‼️
終わりが近づく中、今日もいい試合しかなかった😭
毎日、選手始め、応援する吹奏楽や生徒の方々や観客、審判団、高野連の方々、実況、解説の方々、阪神園芸の皆様、高校野球の全てに関わる方々、お疲れ様です!!
お陰で毎日感動を頂いております🙇

⚾️〜あの夏の記憶〜⚾️

第四回目の本日は、「友との約束」と題しまて、23年前にplay Back‼️ 友の名は、松本勉。
高校野球ファンなら言わずと知れた名プレイヤー。
あの松坂世代に横浜高校で唯一、2年生レギュラーとして出場。
春夏連覇の立役者である。
彼との出会いは、中学2年時。
僕は浜松シニア 、彼は中本牧シニア 。
お互い2年生からレギュラーで出場していた為、顔を合わせることが多かった。
彼の第一印象。
なんだこのうまい守備…同い年でこんな奴いるのか…
という印象だった。
とにかく上手すぎる。
そこにボールが飛んで行けばもう望みはない。
出来るとしたら、エラーでもしてくれと祈るくらいである。
それくらいの鉄壁な守備。
そんな彼とは2年の全国の決勝でも戦って負けている。
3年時もチームとして勝ったことがない…
しかし、ライバルでありながらも仲は良かった。
静岡と神奈川、中学生にしたらあの時代は携帯も持っていなかったから試合で会った時に話すしかない…
そんな友と3年時、とある約束をした。
それは、「横浜高校で一緒に甲子園目指そう!!」 というものであった。
恥ずかしながら、僕は浜松シニアに入ってから、横浜高校に行くと決めていた。シニアの先輩も多数行っており、何より、一つ上の先輩でもあり師匠と崇める後藤武敏さんが行ったことも理由の一つだ。
僕も楽しみだった。
あんな飛び抜けて上手い同級生と一緒に野球が出来るなんて楽しいだろうなと…
そんな3年の冬に、僕は人生の一つの決断を下さなければならなかった。
それは、横浜高校進学を諦めなければならないということ。
理由は言うまでもない。
自分の力が足りなかったからである。
三年間野球をするからにはゲームに出たいの言うのは、誰でも同じ。
横浜は層が厚い上に全国のバケモノの集まりだ。
そこへ挑戦しプロを目指すよりも、静岡の高校で1年からゲームに出て目立つ存在になればスカウトの目にもとまりやすいと考えた。
僕は甲子園はあくまで通過点で、最終目標はプロになることであった。
結果、友との約束を破ってしまったのである。
時は流れ、2年の春に横浜高校と練習試合があった。
チームは松坂さんに17奪三振を食らった記憶は鮮明に覚えている。
昼休憩の時、横浜ベンチに一人で遊びに行き、友と再会したのである。
「ここに居なくてごめん…」
そんな会話をしながらも、師匠の後藤さんとも再会、懐かしい面々に次々と会うことができ、テンションが上がり喋り倒して1時間の休憩はあっという間に過ぎ去っていった。
その後の彼の活躍は言うまでもない。
そんな彼は法政に進み、僕は野球を辞め芸能界を目指し上京。
連絡先もわからないままずっと会うことなく時は過ぎた。
23歳の冬にまた劇的な再会をするのである。
僕はPRADAのドアマンをしていたことはテレビなどで話しているが、実は青山のGUCCIにもいたことがあるのだ。
ドアマンとして立っていると、一人の男が声をかけて来たのである。
「野久保??」
直ぐに彼だとわかった。
変わってない、変わってないから、変わってない。
変わってない言い過ぎじゃない?
そう思った方、YouTubeで「二億四千万 古賀シュウ」と検索して頂ければ幸いです。
再会は高校2年の時以来である。
そこから連絡先を交換し、今でもずっと仲がいい。
そんな友がいることが凄く幸せであり、色んな縁を繋いでくれる。
お陰で沢山の野球人と知り合えた。
彼には感謝している。
この先も関係は変わらない。
自分がこの世界で活躍する事で恩返しが出来ればと願う今日この頃であった。 〜終わり〜

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2019/8/18

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