植田真梨恵さんのインスタグラム写真 - (植田真梨恵Instagram)「渦巻きの隙間に入り込んだ空気がぐわりと髪を持ち上げて風の存在を目で見た 腹がたったことを福岡人は腹かいたという。腹かいたー。あの人、腹かかっしゃってから。福岡ローカルの通りもんのシーエムがテレビで流れてえっと思う。 大阪の街を歩いていた 13日前くらいの夜に。深夜散歩をしながら。建っている建物をまじまじと見ながら。どんな部屋で間取りでどんくらい空室があるんだろうかと考えながら。 14年前大阪に来たときに貸してもらった部屋。からっぽの部屋の中には空気で膨らむだけのベッドがあって、アイエイチのクッキングヒーターがあって、なんもなかったけどほどなくして子猫のララがきて、ほどなくして空気で膨らむだけのベッドは猫の爪によりだめになった。寝るときには膨らんでいるのに、朝起きるとぺしゃんこだった。長い夜の間の、たったひとばんのあいだにごくごく小さな音で空気漏れをしながら。 そんな部屋の詳細を思い返しながら歩いていたら涙が出てきた。こころぼそくなって。今の自分の部屋にちゃんと帰ってくると、部屋の中にはわたしの好きなものが、というかぜんぶぜんぶわたしが選んだわたしの好きなものだけがあるべきところに鎮座。あるべきところにあるものと特にどこにいっていいかわからん様子で雑に散らかっているものと。 こころぼそくなったのは、当時の自分の所在なさげな。居場所のなさというよりは大きな違和感を思い出したから。「大阪?」いま私は大阪におるんか。見慣れない天気予報の天気図に映る地図。この部屋が私の部屋なのかあ。私の住んでいる街か。なんかちまっちまっと建物がぎゅうっと密集した街。あきらかに慣れていない、自分になじんでない街。自分がなじんでいない。交差点で。 どこに帰ったらいいのかわからないような気持ちになり。カーテンを縫ったりポスターを貼ったりしているうちだんだん私の部屋になった部屋。違和感満載の。引っ越したり物を捨てたりしてるうちにどんどん自分の部屋になってく。わたしだけがこの部屋にいるべき存在で、だってわたしの部屋なもので、そのことに安心したりにっこりしたりしたあと、眠る。  Airpodsをわざわざつけて、部屋のベッドで当時よく聴いていた音楽を聴きながらこれを書いている。春のおわりに梅雨がきた。春の間はそわそわと、心地よさといいかおりが街に溢れていて、ふあんげなじぶんの気持ちが気候とミスマッチなせいでコントラストが強く、よけいふあんに感じる。梅雨になると街にはあじさい。青紫のコントラストがきれい。青紫の色がさいきんのわたしは大好きなので思わず写真に撮る。フィルター無し。 じゅうなんねんまえとは音楽の聴き方が変わった。聴こえてくる音が変わった。MDコンポで聴いてた曲のよさはiphoneで聴くとそんなに出ない。そのことがせつない。 昔東京で何度かライブハウスで一緒になった女の人のことを思い出す。あの人いまどうしてるんだろうか、と思ってパッと調べたら結婚して子供が生まれてた。今ライブやってないんだな。雰囲気のある人だったな。うまくて、このあと自分がライブやるの緊張するなあとか、思ったな。曲、なんとなく歌詞も思い出せるなーと思いながら何曲かyoutubeで聴いてみた。私のことをそんなふうに思い出す人もいるんだろうか。私は結婚も子供もまだで、今が、今こそがそのときやでとばかりにアルバムを作っているよ。発売したら聴いてほしいよ。 今は妹のアルバムを聴きながら、キラキラした音たちに耳が包まれて、春のかきむしるようなもどかしさみたいなものは抜け出て、ぼんやりリラックスしている。 人と人。私の中で、実態がないと思っている言葉がふたつ。「愛」それと「永遠」 どちらもこの世界には形がないものなんじゃなかろうかと思っている。疑ってるというよりは確信に近い。もうひとつ「心」にも形がないけど、それは自分で触れたことがあるのでなんとなく、それは存在してるものなんじゃなかろうかと思える。 「愛」のほうはまだ存在するかもって可能性がある。なんても呼びようがないきもちすべてに愛と片付けることができるような気がするから。それがなんなのかとは説明しがたく、人それぞれな気もするけど。もしかしたらその存在を心痛く実感する日も、くるのかも。しれん。 「永遠」のほうはほんとにない感じする。愛、とか永遠とか、言葉を持たせることでなんとなくそのことを認識することはできるけど、ほとんど願いに近いんじゃないか。 「そんなまだ見たことないものをさあ、一回でも見てみたいから」って言ってた去年の11月1日の私は、今からでもまだ永遠を追いかけてみることはできるのでしょうか。15年前と、10年前と、今と、いつ始めても死ぬまで続けばそれはひとつの永遠って呼べるんでしょうか。ひとつの永遠ってなんや。つっこみどころ満載。ほとんどフィーリング。よくわからん。宇宙、ぐらい、よくわからん。 朝方の駄文。たまには。私は元気よ。無駄なことなんてひとつもなく、今日も。元気よって書いた方が元気なく見えるけど、ほんとに元気ですよ。健やかに、部屋でねむります。これからぐうぐう寝ます。」6月14日 4時32分 - u_e_d_a_m_a_r_i_e

植田真梨恵のインスタグラム(u_e_d_a_m_a_r_i_e) - 6月14日 04時32分


渦巻きの隙間に入り込んだ空気がぐわりと髪を持ち上げて風の存在を目で見た
腹がたったことを福岡人は腹かいたという。腹かいたー。あの人、腹かかっしゃってから。福岡ローカルの通りもんのシーエムがテレビで流れてえっと思う。
大阪の街を歩いていた
13日前くらいの夜に。深夜散歩をしながら。建っている建物をまじまじと見ながら。どんな部屋で間取りでどんくらい空室があるんだろうかと考えながら。
14年前大阪に来たときに貸してもらった部屋。からっぽの部屋の中には空気で膨らむだけのベッドがあって、アイエイチのクッキングヒーターがあって、なんもなかったけどほどなくして子猫のララがきて、ほどなくして空気で膨らむだけのベッドは猫の爪によりだめになった。寝るときには膨らんでいるのに、朝起きるとぺしゃんこだった。長い夜の間の、たったひとばんのあいだにごくごく小さな音で空気漏れをしながら。
そんな部屋の詳細を思い返しながら歩いていたら涙が出てきた。こころぼそくなって。今の自分の部屋にちゃんと帰ってくると、部屋の中にはわたしの好きなものが、というかぜんぶぜんぶわたしが選んだわたしの好きなものだけがあるべきところに鎮座。あるべきところにあるものと特にどこにいっていいかわからん様子で雑に散らかっているものと。
こころぼそくなったのは、当時の自分の所在なさげな。居場所のなさというよりは大きな違和感を思い出したから。「大阪?」いま私は大阪におるんか。見慣れない天気予報の天気図に映る地図。この部屋が私の部屋なのかあ。私の住んでいる街か。なんかちまっちまっと建物がぎゅうっと密集した街。あきらかに慣れていない、自分になじんでない街。自分がなじんでいない。交差点で。
どこに帰ったらいいのかわからないような気持ちになり。カーテンを縫ったりポスターを貼ったりしているうちだんだん私の部屋になった部屋。違和感満載の。引っ越したり物を捨てたりしてるうちにどんどん自分の部屋になってく。わたしだけがこの部屋にいるべき存在で、だってわたしの部屋なもので、そのことに安心したりにっこりしたりしたあと、眠る。

Airpodsをわざわざつけて、部屋のベッドで当時よく聴いていた音楽を聴きながらこれを書いている。春のおわりに梅雨がきた。春の間はそわそわと、心地よさといいかおりが街に溢れていて、ふあんげなじぶんの気持ちが気候とミスマッチなせいでコントラストが強く、よけいふあんに感じる。梅雨になると街にはあじさい。青紫のコントラストがきれい。青紫の色がさいきんのわたしは大好きなので思わず写真に撮る。フィルター無し。
じゅうなんねんまえとは音楽の聴き方が変わった。聴こえてくる音が変わった。MDコンポで聴いてた曲のよさはiphoneで聴くとそんなに出ない。そのことがせつない。
昔東京で何度かライブハウスで一緒になった女の人のことを思い出す。あの人いまどうしてるんだろうか、と思ってパッと調べたら結婚して子供が生まれてた。今ライブやってないんだな。雰囲気のある人だったな。うまくて、このあと自分がライブやるの緊張するなあとか、思ったな。曲、なんとなく歌詞も思い出せるなーと思いながら何曲かyoutubeで聴いてみた。私のことをそんなふうに思い出す人もいるんだろうか。私は結婚も子供もまだで、今が、今こそがそのときやでとばかりにアルバムを作っているよ。発売したら聴いてほしいよ。
今は妹のアルバムを聴きながら、キラキラした音たちに耳が包まれて、春のかきむしるようなもどかしさみたいなものは抜け出て、ぼんやりリラックスしている。
人と人。私の中で、実態がないと思っている言葉がふたつ。「愛」それと「永遠」
どちらもこの世界には形がないものなんじゃなかろうかと思っている。疑ってるというよりは確信に近い。もうひとつ「心」にも形がないけど、それは自分で触れたことがあるのでなんとなく、それは存在してるものなんじゃなかろうかと思える。
「愛」のほうはまだ存在するかもって可能性がある。なんても呼びようがないきもちすべてに愛と片付けることができるような気がするから。それがなんなのかとは説明しがたく、人それぞれな気もするけど。もしかしたらその存在を心痛く実感する日も、くるのかも。しれん。
「永遠」のほうはほんとにない感じする。愛、とか永遠とか、言葉を持たせることでなんとなくそのことを認識することはできるけど、ほとんど願いに近いんじゃないか。
「そんなまだ見たことないものをさあ、一回でも見てみたいから」って言ってた去年の11月1日の私は、今からでもまだ永遠を追いかけてみることはできるのでしょうか。15年前と、10年前と、今と、いつ始めても死ぬまで続けばそれはひとつの永遠って呼べるんでしょうか。ひとつの永遠ってなんや。つっこみどころ満載。ほとんどフィーリング。よくわからん。宇宙、ぐらい、よくわからん。
朝方の駄文。たまには。私は元気よ。無駄なことなんてひとつもなく、今日も。元気よって書いた方が元気なく見えるけど、ほんとに元気ですよ。健やかに、部屋でねむります。これからぐうぐう寝ます。


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

716

12

2020/6/14

植田真梨恵を見た方におすすめの有名人

植田真梨恵と一緒に見られている有名人