キャシー中島さんのインスタグラム写真 - (キャシー中島Instagram)「*  あの日、私は多摩川のすぐそばにあるハウススタジオで撮影中でした。 ランチが終わり午後の撮影が始まって少し経った頃、地鳴りのような音とともに揺れ始め、外を見ると隣の家が滑るように左右へと動いていました。 揺れではなく、地盤が緩かったのでしょうか、私にはそう見えました。  慌ててスタジオ内の庭に飛び出し、収まるのを待ちました。 収まったと思いスタジオに戻って直ぐに2回目の揺れです! 1回目より強く長く感じました。 「これは普通の地震ではない!とんでもない地震だ」と思い、撮影を中止し、家に帰るよう現場に居たみんなに言いました。  スタジオから私の家までは車で20分ほど。 途中までは何事もなかったように走れましたが、国道246に入ると急にノロノロと渋滞して来ました。  カーラジオからは 東北沖が震源で震度7! 多数の被害が出ている と繰返しのニュース! 1時間ほどかかって家に着くといくつもの食器やグラスが割れていました。  洋輔とかなえはパリにいましたので、家にいたのは勝野パパ1人! 割れた食器を片付けながら、「だいじょうぶだったか⁉️」と心配してくれました。 携帯に電話かけても繋がらずに心配していたようです。  それからはテレビのニュースで流れてくる宮城、福島、岩手、茨城の凄まじい状況。 そして直ぐそばの世田谷通りを家に歩いて帰る帰宅難民の方々、皆さん不安な表情で歩いていました。 通り沿いにあるお店マナアイランドはトイレを貸してくださいという方のためにトイレを開放しました。  そして自販の飲み物は全て売り切れていたので、水道の水でいいからくださいという方のために、たまたま大量にあった紙コップに水道水を入れてお渡ししました。 世田谷通り沿いにあったお店の方は皆さんそのようにしていたようです。  それからは毎日ニュースで被災地の悲惨な状況を見て心を痛くしていました。  何かできることはないか、寄付をするだけではなく何かできないか と考えていました。 勝野パパが「岩手に行ってくるよ。岩手なら知り合いがいるから」 と言ってくれたのは4月になる少し前でした。  さっそく 私のタオルを作っている会社のタオル美術館にお願いしてバスタオルやフェイスタオルなどをたくさん用意してもらいました。 そして御殿場のクッキーのために置いてあった缶に 針や鋏、糸と糸通し、などを手芸材料の会社クロバーさんにも協力してもらい300セット用意しました。 もう一つは勝野パパが長年お世話になっている大正製薬からもリポビタンDをたくさん用意していただきました。 それをワンボックスカーに積み込み、スタッフと2人で 岩手に行きました。 友人宅には泊まれる状態ではなかったので車で寝たそうです。  帰って来た勝野パパに聞くと「すごく大変だ、1回行っただけじゃ何にもならない、また行ってくる、本当に大変だ!」 と言っていました。 それから夏になるまで3回岩手と福島に行ってくれました。 今でもボランティアで避難している方とは連絡をとっています。  余談ですがクッキー缶に入っている裁縫道具をお渡ししたら、開けた方が 「クッキーじゃ無いじゃないか、甘い美味しいものかと思って開けたのにガッカリだ」 と言っていたそうです。 男性の方だそうで申し訳ないと思いました。 私の考えでは、着る物もなくなった方々に大量の洋服が寄付されている映像を見て、 ちょっとボタンの位置を変えたり、ちょっと横を縫ったりすると良いのかなぁ と思った時、 避難する時にお針箱なんて持っていかないだろうな、 お針箱があったら便利かな!? なんて考えたのです。  2年ほど前に気仙沼にお邪魔した時(NHKのすてきにハンドメイドの収録でいきました。)そのクッキー缶を持って来てくださった方がいて感動しました。 その方が「あの時本当に助かったんです。」とおっしゃってくださって涙が出ました。 私ができる小さなことですが、喜んでくださった方がいる!これだけで嬉しかったです。  *  アルゼンチンの言い伝えの中にハチドリの一雫があります。 今 自分に出来ることをやる。 大切なことです。  あの震災から10年、 まだまだできることがあります。 10年の節目にもう一度考えてみます。  長々と書いた私にお付き合いいただきありがとうございます😭❤️❤️❤️❤️❤️」3月11日 12時54分 - official_kathynakajima

キャシー中島のインスタグラム(official_kathynakajima) - 3月11日 12時54分


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あの日、私は多摩川のすぐそばにあるハウススタジオで撮影中でした。
ランチが終わり午後の撮影が始まって少し経った頃、地鳴りのような音とともに揺れ始め、外を見ると隣の家が滑るように左右へと動いていました。
揺れではなく、地盤が緩かったのでしょうか、私にはそう見えました。

慌ててスタジオ内の庭に飛び出し、収まるのを待ちました。
収まったと思いスタジオに戻って直ぐに2回目の揺れです!
1回目より強く長く感じました。
「これは普通の地震ではない!とんでもない地震だ」と思い、撮影を中止し、家に帰るよう現場に居たみんなに言いました。

スタジオから私の家までは車で20分ほど。
途中までは何事もなかったように走れましたが、国道246に入ると急にノロノロと渋滞して来ました。

カーラジオからは
東北沖が震源で震度7!
多数の被害が出ている
と繰返しのニュース!
1時間ほどかかって家に着くといくつもの食器やグラスが割れていました。

洋輔とかなえはパリにいましたので、家にいたのは勝野パパ1人!
割れた食器を片付けながら、「だいじょうぶだったか⁉️」と心配してくれました。
携帯に電話かけても繋がらずに心配していたようです。

それからはテレビのニュースで流れてくる宮城、福島、岩手、茨城の凄まじい状況。
そして直ぐそばの世田谷通りを家に歩いて帰る帰宅難民の方々、皆さん不安な表情で歩いていました。
通り沿いにあるお店マナアイランドはトイレを貸してくださいという方のためにトイレを開放しました。

そして自販の飲み物は全て売り切れていたので、水道の水でいいからくださいという方のために、たまたま大量にあった紙コップに水道水を入れてお渡ししました。
世田谷通り沿いにあったお店の方は皆さんそのようにしていたようです。

それからは毎日ニュースで被災地の悲惨な状況を見て心を痛くしていました。

何かできることはないか、寄付をするだけではなく何かできないか
と考えていました。
勝野パパが「岩手に行ってくるよ。岩手なら知り合いがいるから」
と言ってくれたのは4月になる少し前でした。

さっそく
私のタオルを作っている会社のタオル美術館にお願いしてバスタオルやフェイスタオルなどをたくさん用意してもらいました。
そして御殿場のクッキーのために置いてあった缶に 針や鋏、糸と糸通し、などを手芸材料の会社クロバーさんにも協力してもらい300セット用意しました。
もう一つは勝野パパが長年お世話になっている大正製薬からもリポビタンDをたくさん用意していただきました。
それをワンボックスカーに積み込み、スタッフと2人で
岩手に行きました。
友人宅には泊まれる状態ではなかったので車で寝たそうです。

帰って来た勝野パパに聞くと「すごく大変だ、1回行っただけじゃ何にもならない、また行ってくる、本当に大変だ!」
と言っていました。
それから夏になるまで3回岩手と福島に行ってくれました。
今でもボランティアで避難している方とは連絡をとっています。

余談ですがクッキー缶に入っている裁縫道具をお渡ししたら、開けた方が
「クッキーじゃ無いじゃないか、甘い美味しいものかと思って開けたのにガッカリだ」
と言っていたそうです。
男性の方だそうで申し訳ないと思いました。
私の考えでは、着る物もなくなった方々に大量の洋服が寄付されている映像を見て、
ちょっとボタンの位置を変えたり、ちょっと横を縫ったりすると良いのかなぁ
と思った時、
避難する時にお針箱なんて持っていかないだろうな、
お針箱があったら便利かな!?
なんて考えたのです。

2年ほど前に気仙沼にお邪魔した時(NHKのすてきにハンドメイドの収録でいきました。)そのクッキー缶を持って来てくださった方がいて感動しました。
その方が「あの時本当に助かったんです。」とおっしゃってくださって涙が出ました。
私ができる小さなことですが、喜んでくださった方がいる!これだけで嬉しかったです。

*

アルゼンチンの言い伝えの中にハチドリの一雫があります。
今 自分に出来ることをやる。
大切なことです。

あの震災から10年、
まだまだできることがあります。
10年の節目にもう一度考えてみます。

長々と書いた私にお付き合いいただきありがとうございます😭❤️❤️❤️❤️❤️


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2021/3/11

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