戸田真琴さんのインスタグラム写真 - (戸田真琴Instagram)「『神画』写真集発売イベントと写真展にお越しいただいたみなさん、気にかけてくださったみなさん、遠方から本を手に取ってくれたり、特装版をご注文くださったみなさん ありがとうございました。  私はやはりどうあがいても自分の中にある心やたましい、もっと具体的な言い方をすると人格や信念や思想、その鋭さや切実さ(自分で云うのも変かもしれませんが、自分から見てもどうにも切実なのです)が、表皮としての肉体、この顔やからだの凹凸と一致しない感覚が強く、何処にいても自分が誤解されているような、皆を騙しているような、誰にも見られていないような、そして見たままのビジュアルとしてしか受け取ってもらえないかのような、強い違和感を感じ続けていました。  わたしの見た目や背格好や雰囲気、社会的な属性、そういった表面的な、多くの場合自分で選んだ訳では無い要素が、わたしの中身の邪魔をしているんだ。と思って、ずっと苦しいです。みんながパッと見で期待するような明るくて優しくて親しみやすい女の子ではなくて、ごめんね。と、ずっと思っています。  『神画』は、自分と言う存在の根源に流れる、言葉にできない何かを写そうとした作品です。見てくれた人たちへ。途方もなくきれいだったでしょう。ほんとうはこんなふうなんです。それが、ずっと可視化できなかっただけで。だれの中にもかみさまは居て、ほんとうは、このくらい透明で綺麗なのだと思います。だけれど、そのままの姿ではこの汚れた世界では生きられません。なので、写真を撮り終えたらまた、この世界で生きられるような頑丈な姿に戻らないといけないのです。  すっかりもとどおりの、なるべく優しく明るく目の前のあなたを不愉快にさせないようにずっとそわそわしている臆病な姿に戻った私は、この『神画』の写真たちの前に、この写ってる本人として姿を現すことが、あまり良い事だとは思えませんでした。現実の、生活を続けるためにカスタムされた私が、私の本当の姿が純粋に見られることを、邪魔してしまうような気がしました。その気持ちは今も変わらず、写真展にほとんどまったく在廊しなかったのも、わたしが、ほんとうのわたしのことを、邪魔したくはなかったからです。  いつか、現実のこのダサくて格好つかない私のことなど皆が忘れた頃に、この写真集の中の姿だけが真実として残り続けたらいいな、と思います。私の生きて生活している人間としての姿や動きや仕草やビジュアルを好きになってくれた人にも、ありがとうと思っているけれど、やっぱり私は私の表面の凹凸になど私の本質はないと、ずっと感じています。みんなが目に見えないもののほうを信じて生きて行けたら、私はこんなに自分を歪に思わなかったかもしれません。  『神画』の撮影で最後、青森の恐山にて裸で横たわったとき、人生で初めて、ほんとうに初めて、魂と、感情と、それらを運ぶ器としての身体が、ぴったりと一致した感じがしました。それがあまりによくて、二度と私はここから帰りたくはないと、心から感じました。 でも、永遠のように一人で座っていた後で、現世に好きな人たちがいたので、その人たちの顔を思い出して、無理やり帰りました。  写真展に来てくれた親友が、しくしく泣きながら、もうあそこ(恐山)には行かないで欲しい。と、言いました。 なんだか気が済んだような気がしました。 まだ生きているようなので、自然と終わるまでは生きていくつもりでいますが、たくさんの人に姿を見せ続けるような活動は、やっぱり根本的に向いていないので、残り4ヶ月とちょっとで終わりにするつもりです。 一先ず。『神画』を大事にしてくれると嬉しいです。写真展の展示作品や、ポストカードなどのグッズ、未公開カットの付属する特装版(サイン入り)などはpara(飯田エリカさんの会社)のshopにて販売中。写真集は全国の書店さんや主婦の友インフォスECサイト他にて発売中です。  引き続きよろしくお願いします。  #神画 📸 @i.erika_bluegirl」9月23日 1時05分 - toda_makoto

戸田真琴のインスタグラム(toda_makoto) - 9月23日 01時05分


『神画』写真集発売イベントと写真展にお越しいただいたみなさん、気にかけてくださったみなさん、遠方から本を手に取ってくれたり、特装版をご注文くださったみなさん
ありがとうございました。

私はやはりどうあがいても自分の中にある心やたましい、もっと具体的な言い方をすると人格や信念や思想、その鋭さや切実さ(自分で云うのも変かもしれませんが、自分から見てもどうにも切実なのです)が、表皮としての肉体、この顔やからだの凹凸と一致しない感覚が強く、何処にいても自分が誤解されているような、皆を騙しているような、誰にも見られていないような、そして見たままのビジュアルとしてしか受け取ってもらえないかのような、強い違和感を感じ続けていました。

わたしの見た目や背格好や雰囲気、社会的な属性、そういった表面的な、多くの場合自分で選んだ訳では無い要素が、わたしの中身の邪魔をしているんだ。と思って、ずっと苦しいです。みんながパッと見で期待するような明るくて優しくて親しみやすい女の子ではなくて、ごめんね。と、ずっと思っています。

『神画』は、自分と言う存在の根源に流れる、言葉にできない何かを写そうとした作品です。見てくれた人たちへ。途方もなくきれいだったでしょう。ほんとうはこんなふうなんです。それが、ずっと可視化できなかっただけで。だれの中にもかみさまは居て、ほんとうは、このくらい透明で綺麗なのだと思います。だけれど、そのままの姿ではこの汚れた世界では生きられません。なので、写真を撮り終えたらまた、この世界で生きられるような頑丈な姿に戻らないといけないのです。

すっかりもとどおりの、なるべく優しく明るく目の前のあなたを不愉快にさせないようにずっとそわそわしている臆病な姿に戻った私は、この『神画』の写真たちの前に、この写ってる本人として姿を現すことが、あまり良い事だとは思えませんでした。現実の、生活を続けるためにカスタムされた私が、私の本当の姿が純粋に見られることを、邪魔してしまうような気がしました。その気持ちは今も変わらず、写真展にほとんどまったく在廊しなかったのも、わたしが、ほんとうのわたしのことを、邪魔したくはなかったからです。

いつか、現実のこのダサくて格好つかない私のことなど皆が忘れた頃に、この写真集の中の姿だけが真実として残り続けたらいいな、と思います。私の生きて生活している人間としての姿や動きや仕草やビジュアルを好きになってくれた人にも、ありがとうと思っているけれど、やっぱり私は私の表面の凹凸になど私の本質はないと、ずっと感じています。みんなが目に見えないもののほうを信じて生きて行けたら、私はこんなに自分を歪に思わなかったかもしれません。

『神画』の撮影で最後、青森の恐山にて裸で横たわったとき、人生で初めて、ほんとうに初めて、魂と、感情と、それらを運ぶ器としての身体が、ぴったりと一致した感じがしました。それがあまりによくて、二度と私はここから帰りたくはないと、心から感じました。
でも、永遠のように一人で座っていた後で、現世に好きな人たちがいたので、その人たちの顔を思い出して、無理やり帰りました。

写真展に来てくれた親友が、しくしく泣きながら、もうあそこ(恐山)には行かないで欲しい。と、言いました。
なんだか気が済んだような気がしました。
まだ生きているようなので、自然と終わるまでは生きていくつもりでいますが、たくさんの人に姿を見せ続けるような活動は、やっぱり根本的に向いていないので、残り4ヶ月とちょっとで終わりにするつもりです。
一先ず。『神画』を大事にしてくれると嬉しいです。写真展の展示作品や、ポストカードなどのグッズ、未公開カットの付属する特装版(サイン入り)などはpara(飯田エリカさんの会社)のshopにて販売中。写真集は全国の書店さんや主婦の友インフォスECサイト他にて発売中です。

引き続きよろしくお願いします。

#神画
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2022/9/23

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