高野寛のインスタグラム(takano_hiroshi) - 4月5日 13時38分


1994年、N.Y.。坂本さんのプロデュースで「夢の中で会えるでしょう」を録音した時の記念写真。向かって左はエンジニアのゴウ・ホトダさん。

ちょうどテイトウワくんが1stソロアルバムを作っていた時期で、スタジオにベベウ・ジルベルトを連れてきて紹介してくれたり、「Technova」の坂本さんのエレピのダビングを見学した記憶がある。

1994〜1995、29歳から30歳になろうとしていたこの時期は、坂本さんとの関わりからいろんなことが連鎖して、自分の意識もミュージシャンとしてのスタンスも大きく変わった時だった。

1994年の坂本さんの「Sweet Revenge」にギターと歌で参加。その後テイくんの「Luv Connection」でテイくんがレンタルしてくれたエレキシタールを初めて弾いて、「これは自分に合ってる!」と感じてすぐ自分でもシタールを買って、早速「夢の中で会えるでしょう」で弾いた。

その年の秋、坂本さんの「Sweet Revenge Tour」にギタリストとして参加してほしいという連絡が。シングル発売を直後に控えた時期だったので、スタッフからもやめてほしいという意見が多く迷ったけれど、幸宏さんが「高野くん、ワールドツアーなんて滅多にできる経験じゃないから、絶対にやったほうがいいよ」といつになく強い口調で背中を押してくださった。そこで僕は意を決して、反対するスタッフを一人一人説得して回った。おかげで無事ツアーにも参加できることになった。

あの頃があったからこそ今があると、心の底から想う。


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2023/4/5

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