浅川稚広さんのインスタグラム写真 - (浅川稚広Instagram)「7月29日、義母が息を引き取りました。  享年81歳でした。  6月末に危篤になり、それから何とか持ち直して7月7日に退院してから3週間、自宅で家族と共に過ごすことができました。 何度かの投稿で温かいメッセージやコメントで支えてくださった皆さま、深く感謝します。  以下、義母(おかあさん)への手紙です。 今の気持ちを書いておきたいと思ってそのまま文字にしているため、まとまりの無い推敲されていないままになってしまいますが、どうかご容赦ください。  おかあさん、本当に有難うございました。 結婚した時に、「息子ばかりで、娘が欲しかったの。」と嫁としてでは無く、あなたの娘同然に受け入れてくれましたね。  息子が産まれて同居してからの十年間は、時に厳しく、時に優しく、色々な事を教えてくださいました。子育ても手助けしてくれつつ、美味しいご飯を作ってお家で待っていてくれたり、夫のワイシャツや娘の制服のブラウスにピシッとアイロンがけをして下さったり。六時に帰ると、お夕飯を作って待っていてくれて、夕食を囲みつつ、色んな話をしましたね。  世の中の嫁姑の話は色々とあるかもしれませんが、私はおかあさんの事が大好きでした。  勿論、厳しい事を言われた時は、グサって胸にその言葉が突き刺さる事もありましたが、全部私のことを思って言ってくれているのが分かっていたので、寧ろ有難いと思っていました。でも、たまに素直に聞けない時や、つい聞こえていてもスルーしてしまうこともありました。ごめんなさい。  テニスにプールにコーラスに麻雀にと、アクティブでお友達も多くて、お洒落だったおかあさん。  一緒に過ごした十年間は、私にとって本当にかけがえのない時間でした。  退院してからは、「生きているうちに何でも食べたいものを食べましょう❣️」と、お寿司や鰻、旬の果物🍉🍑、色々とリクエストに合わせて買いに行って、子供達も大好きなイクラのお寿司を何度も食べれて、喜んでいましたね。  また、「忙しくなるけど…」と前置きして、あちこちの引き出しを開けさせて、何処に何があるか教えてくれて、「あなたが使えるものは使って、要らなきゃ捨ててね。」と言って、洋服からバッグやアクセサリー、料理の本に至るまで、細かく指示がありましたね(笑)。  それから、「私の生涯を知っていてほしい」と生い立ちから家族や親戚のこと、東京に出てきてからのこと、仕事のことなど、色々話して教えてくださいましたね。  足や手のマッサージをしながらだったので、「そこ気持ちいいね〜上手だね〜」と喜んでくれて、私も嬉しかったです。  「秋物の寝巻き買って来てくれる?」と頼まれて、生きる意欲を持ってくれてることが何より嬉しくて。  トイレの介助や食事や薬のお世話も、今まで散々お世話になったご恩返しだと思っていたので、そんなに「申し訳ない」なんて思わなくて良かったんですよ。  「フワッとする」と言った直後、不整脈が起きて、痙攣して目を見開いたまま倒れた時、必死で呼びかけながら、おかあさんの目の色がなんて綺麗なんだろうと思っていたのは不思議な感覚で。  ベッドサイドに取り付けたナースコールで呼ばれて「不安だからそばにいて手を握っていて」と言われて、夜中もずっとマッサージしたりさすったりしていたのも、今考えると、"添い寝してあげた方が良かったかしら?"なんて思ってみたりして。  亡くなる前の最後の一週間は、体調もあまり良くなさそうで、口数が減り、筋力も少しずつ衰えてきていて、トイレへの移動の足取りもおぼつかなくなってきて…  “おかあさん、先生は長期戦になるかもしれないって仰ってくださいました。つまり、もっと生きられるんです。だから、おかあさんも今の筋力を維持できるよう、今後は少しずつリハビリもしていきましょうね‼︎”  と励まして、さぁ、これから秋まで頑張ろう🍂と思っていた矢先。  まだ、おかあさんが居なくなってしまった現実を、受け止められない私がいます。  心に大きな穴が空いてしまって、寂しくて泣いてしまいます。  おかあさん、おかあさん、おかあさん。  #義母への手紙 #介護記録」7月31日 2時25分 - chiffy1110

浅川稚広のインスタグラム(chiffy1110) - 7月31日 02時25分


7月29日、義母が息を引き取りました。

享年81歳でした。

6月末に危篤になり、それから何とか持ち直して7月7日に退院してから3週間、自宅で家族と共に過ごすことができました。
何度かの投稿で温かいメッセージやコメントで支えてくださった皆さま、深く感謝します。

以下、義母(おかあさん)への手紙です。
今の気持ちを書いておきたいと思ってそのまま文字にしているため、まとまりの無い推敲されていないままになってしまいますが、どうかご容赦ください。

おかあさん、本当に有難うございました。
結婚した時に、「息子ばかりで、娘が欲しかったの。」と嫁としてでは無く、あなたの娘同然に受け入れてくれましたね。

息子が産まれて同居してからの十年間は、時に厳しく、時に優しく、色々な事を教えてくださいました。子育ても手助けしてくれつつ、美味しいご飯を作ってお家で待っていてくれたり、夫のワイシャツや娘の制服のブラウスにピシッとアイロンがけをして下さったり。六時に帰ると、お夕飯を作って待っていてくれて、夕食を囲みつつ、色んな話をしましたね。

世の中の嫁姑の話は色々とあるかもしれませんが、私はおかあさんの事が大好きでした。

勿論、厳しい事を言われた時は、グサって胸にその言葉が突き刺さる事もありましたが、全部私のことを思って言ってくれているのが分かっていたので、寧ろ有難いと思っていました。でも、たまに素直に聞けない時や、つい聞こえていてもスルーしてしまうこともありました。ごめんなさい。

テニスにプールにコーラスに麻雀にと、アクティブでお友達も多くて、お洒落だったおかあさん。

一緒に過ごした十年間は、私にとって本当にかけがえのない時間でした。

退院してからは、「生きているうちに何でも食べたいものを食べましょう❣️」と、お寿司や鰻、旬の果物🍉🍑、色々とリクエストに合わせて買いに行って、子供達も大好きなイクラのお寿司を何度も食べれて、喜んでいましたね。

また、「忙しくなるけど…」と前置きして、あちこちの引き出しを開けさせて、何処に何があるか教えてくれて、「あなたが使えるものは使って、要らなきゃ捨ててね。」と言って、洋服からバッグやアクセサリー、料理の本に至るまで、細かく指示がありましたね(笑)。

それから、「私の生涯を知っていてほしい」と生い立ちから家族や親戚のこと、東京に出てきてからのこと、仕事のことなど、色々話して教えてくださいましたね。

足や手のマッサージをしながらだったので、「そこ気持ちいいね〜上手だね〜」と喜んでくれて、私も嬉しかったです。

「秋物の寝巻き買って来てくれる?」と頼まれて、生きる意欲を持ってくれてることが何より嬉しくて。

トイレの介助や食事や薬のお世話も、今まで散々お世話になったご恩返しだと思っていたので、そんなに「申し訳ない」なんて思わなくて良かったんですよ。

「フワッとする」と言った直後、不整脈が起きて、痙攣して目を見開いたまま倒れた時、必死で呼びかけながら、おかあさんの目の色がなんて綺麗なんだろうと思っていたのは不思議な感覚で。

ベッドサイドに取り付けたナースコールで呼ばれて「不安だからそばにいて手を握っていて」と言われて、夜中もずっとマッサージしたりさすったりしていたのも、今考えると、"添い寝してあげた方が良かったかしら?"なんて思ってみたりして。

亡くなる前の最後の一週間は、体調もあまり良くなさそうで、口数が減り、筋力も少しずつ衰えてきていて、トイレへの移動の足取りもおぼつかなくなってきて…

“おかあさん、先生は長期戦になるかもしれないって仰ってくださいました。つまり、もっと生きられるんです。だから、おかあさんも今の筋力を維持できるよう、今後は少しずつリハビリもしていきましょうね‼︎”

と励まして、さぁ、これから秋まで頑張ろう🍂と思っていた矢先。

まだ、おかあさんが居なくなってしまった現実を、受け止められない私がいます。

心に大きな穴が空いてしまって、寂しくて泣いてしまいます。

おかあさん、おかあさん、おかあさん。

#義母への手紙
#介護記録


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2023/7/31

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