マアサ・イシハラさんのインスタグラム写真 - (マアサ・イシハラInstagram)「Best news I’ve ever got!! Finally got my visa approved..!! Thank you Lord…. 3年半に渡る戦いに終止符。 この日をいかに待ちわびていたか、この日をいかに夢に見てきたことか、この日がいつか必ず来ると信じ走り続けてきた。 丁度1年11ヶ月前にロサンゼルス空港にて13時間の拘束後入国拒否という結果を下され、就労ビザを取得しない限りアメリカには戻れないという宣告を受けた。(911のテロ以降イミグレーションが厳しくなったため) なぜかその13時間の間に入国管理局の人に財布や金品を盗まれ、日本に送り返された時には小さなリュックサックに2枚のTシャツとパンツしか入ってない状態で私の日本の生活はスタートした。 3年住んでいたロスには家も車も全ての生活用品、大切な仲間もダンスも全てがそのままで、ある日突然今日からアメリカには入れません、日本で生きていってください、そう告げられた私は『あぁ、本当にお先真っ暗とはこういうことを言い、どん底に突き落とされるとはこういう心境なのか』と1週間毎日涙が溢れてくるのが止まりませんでした。当時、東京に知り合いもほぼいなく携帯のアドレス帳にはダンス界とは無縁の2、3人の友達。アメリカという土地でダンサーとして成功すると我武者羅に夢を追っかけていた私にとってその現実はあまりにも酷で、完全に希望という光が断たれたと思わざるを得なかったのです。 忘れもしない2013年4月だった。  大使館から「アーティストビザの発給許可がおりました」その連絡を受けた時、死ぬほど夢に見てきたことですから、当然喜びの絶頂で絶叫し号泣するものだと思っていました。 だが、予想外にも現実は狐につままれたかのように何時間も放心状態になった私は、嬉しさと同じくらいの寂しさがこみ上げゆっくりと涙が頬に伝った。 アメリカにいた頃の私は、とげとげしく誰も信用しないし周りはみんな敵と言わんばかりにつっぱりとんがっていた。むしろそういないとあのハリウッドという独特の世界で私は戦っていけなかった。その状態で日本に戻って私は当然のことだが日本の環境に馴染めず、しばらくの間一匹狼状態だった。ところがそんな私にもチャンスをくれた人、応援してくれた人、認めてくれた人、心からぶつかってきてくれた人がこの1年11ヶ月の間に沢山いて、私の心はその人たちによって少しずつ変わっていった。 大使館からの連絡後、放心状態の私の頭の中でそのひとりひとりの顔が走馬灯のように駆け巡り、会えなくなることに寂しさがこみ上げてきたのだった。 この1年11ヶ月は無駄ではなかった。私石原麻亜沙が一人間として身につけなければならないものを、ダンサーという職業を通じて出会った沢山の人達のおかげで学ばさせてもらった。むしろこれから長い人生の中で必要であったのだと今は心からそう思える。  人はあたたかい。 信じられる人がいるということは心を豊かにする。  生きてるのではなく常に生かされているということ。  心からありがとうございました。  そして最後に。何事も決して諦めないでください。必ず奇跡は起こせます。  残り2週間。全力で走り抜け、新境地で一からのスタートです。 ここまで長かったですが、今やっとスタートラインに立ちました。 これからです、これから」2月18日 10時43分 - maasaishihara

マアサ・イシハラのインスタグラム(maasaishihara) - 2月18日 10時43分


Best news I’ve ever got!!
Finally got my visa approved..!!
Thank you Lord…. 3年半に渡る戦いに終止符。
この日をいかに待ちわびていたか、この日をいかに夢に見てきたことか、この日がいつか必ず来ると信じ走り続けてきた。
丁度1年11ヶ月前にロサンゼルス空港にて13時間の拘束後入国拒否という結果を下され、就労ビザを取得しない限りアメリカには戻れないという宣告を受けた。(911のテロ以降イミグレーションが厳しくなったため)
なぜかその13時間の間に入国管理局の人に財布や金品を盗まれ、日本に送り返された時には小さなリュックサックに2枚のTシャツとパンツしか入ってない状態で私の日本の生活はスタートした。
3年住んでいたロスには家も車も全ての生活用品、大切な仲間もダンスも全てがそのままで、ある日突然今日からアメリカには入れません、日本で生きていってください、そう告げられた私は『あぁ、本当にお先真っ暗とはこういうことを言い、どん底に突き落とされるとはこういう心境なのか』と1週間毎日涙が溢れてくるのが止まりませんでした。当時、東京に知り合いもほぼいなく携帯のアドレス帳にはダンス界とは無縁の2、3人の友達。アメリカという土地でダンサーとして成功すると我武者羅に夢を追っかけていた私にとってその現実はあまりにも酷で、完全に希望という光が断たれたと思わざるを得なかったのです。
忘れもしない2013年4月だった。

大使館から「アーティストビザの発給許可がおりました」その連絡を受けた時、死ぬほど夢に見てきたことですから、当然喜びの絶頂で絶叫し号泣するものだと思っていました。
だが、予想外にも現実は狐につままれたかのように何時間も放心状態になった私は、嬉しさと同じくらいの寂しさがこみ上げゆっくりと涙が頬に伝った。
アメリカにいた頃の私は、とげとげしく誰も信用しないし周りはみんな敵と言わんばかりにつっぱりとんがっていた。むしろそういないとあのハリウッドという独特の世界で私は戦っていけなかった。その状態で日本に戻って私は当然のことだが日本の環境に馴染めず、しばらくの間一匹狼状態だった。ところがそんな私にもチャンスをくれた人、応援してくれた人、認めてくれた人、心からぶつかってきてくれた人がこの1年11ヶ月の間に沢山いて、私の心はその人たちによって少しずつ変わっていった。
大使館からの連絡後、放心状態の私の頭の中でそのひとりひとりの顔が走馬灯のように駆け巡り、会えなくなることに寂しさがこみ上げてきたのだった。
この1年11ヶ月は無駄ではなかった。私石原麻亜沙が一人間として身につけなければならないものを、ダンサーという職業を通じて出会った沢山の人達のおかげで学ばさせてもらった。むしろこれから長い人生の中で必要であったのだと今は心からそう思える。

人はあたたかい。
信じられる人がいるということは心を豊かにする。

生きてるのではなく常に生かされているということ。

心からありがとうございました。

そして最後に。何事も決して諦めないでください。必ず奇跡は起こせます。

残り2週間。全力で走り抜け、新境地で一からのスタートです。
ここまで長かったですが、今やっとスタートラインに立ちました。
これからです、これから


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2015/2/18

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