(昨日のつづき) 生涯で、祖母が最も強い恋心を抱いた相手は祖父ではなく、とある小料理屋の若旦那であった。 その小料理屋のご主人(大旦那)は、白髪交じりの洒落た男性で、奥様は元芸者で綺麗な人だった。元芸者の奥様は、小料理屋の2階で唄いを教えており、祖母はたまたま習いに行った唄いの場で、その若旦那と出会ったというわけである。若旦那は、背の高い人であったと聞いている。昭和25年、祖母20歳のときの出来事であった。 祖母は、ちょくちょく話をするようになった小料理屋の若旦那に惚れ、何度か2人でデートをした。当時デートという概念があったかどうかわからないが、互いを悪からず思っている男女が2人で食事に行けば、それはデートだと言って差し支えなかろう。1度目は、近所の定食屋に昼食を食べに行ったらしい。そこで若旦那は、遠出する汽車に乗るときは、新聞を一つ買い、道中それを隅々まで読むのだと言ったそうである。祖母はそのエピソードに対しては、「けち臭い男だな」と思ったらしい。それでも、恋は盲目というか、祖母の想いを終わらせる決定打にはならなかったようだ。 2度目のデートで、若旦那は、当時珍しかったステーキを食べようと祖母を洋食屋に連れて行った。農家出身の祖母はステーキなど食べたことがなく、出されたわけのわからない肉の塊と、見たこともないナイフとフォークを前にどうしてよいかわからず、ひとくちも手をつけずに帰ったそうだ。「自分は学がないなぁと思ってね。それに、なんであの人も食べ方を教えてくれなかったのか。まったくひどい恥をかいた」と、当時を振り返り、祖母は笑った。私は小学生のころ、祖母にとうもろこしの食べ方を魚の食べ方とステーキの食べ方を教わった。そして「食べ方には人が出るから、食事は綺麗に食べなきゃいかん」という大原則も教わった。その教えを飽きるほど繰り返していたのは、このときのトラウマからきているのかな、と私は邪推している。 若旦那は、3度目のデートに「映画の券を2つ手に入れたから見に行きませんか」と、祖母を映画に誘った。戦後昭和の男も、現代平成の男も、女性を誘う方法は全然進化しないという見本である。しかしその日、祖母が働いていた店は休みではなかった。惚れた男からの誘いがあった祖母は、朝からそわそわと落ち着かない。 「今日はえっらいしょわしないがんないけ、どうしたが。(すごく焦っているようだけど、どうかした?)」と店の人に言われ、実はかくかくしかじかでと祖母は事情を話した。 「今のじっきゃお客さんもなんおらんし、つかえん。行ってこられ。(今の時期はお客さんが少ないから店を休んで構わない。映画に行ってきていいよ。)」と親切に店の人は言ってくれた。よしきたと祖母は、店を抜け出し、若旦那と映画を楽しんだ。そして「またね」と言って別れた。映画の名前は?と私は聞いたが「そんなもんわすれてしもた」とのことである。 祖母が店に戻ってみると、本店から電話が入っていた。「あんた、仕事もせんと、男と映画にいっとったそうやね、どういうことけ」と、上からこっぴどくお叱りを受けた。どこからデートの話が漏れたか知らないが、20歳の祖母にはきついお叱りだ。その日は、泣きに泣いて家に帰り、布団を被って寝てしまった。「やっぱり、あの人とはうまくいかない運命なのだ」と、若い祖母はそう思ったようだ。奇しくもその日は12月24日。クリスマスイブの日であった。 そしてなぜかその日から、若旦那からはぱたりと誘いがこなくなった。祖母は小料理屋での唄いの稽古をやめ、鬱々と落ち込んだ日を過ごした。 その日から数ヶ月経ち、若旦那から一通の手紙がきた。手紙の内容は「なんだか君は僕のせいで苦しんでいるようだ。もう付き合いはこれきりにしよう。」というようなものだった。若旦那がそんな手紙を出すに至った経緯は、今となっては知る由もない。どこからか、映画の件で向こうも怒られたのかもしれないし、ぼんやり過ごす祖母の様子を、人づてに聞いたのかもしれない。それとも丁度新しく、いい人が見つかったのかもしれない。とにかく、祖母と若旦那の仲は、それっきりになった。 (続く) * * * #おうちごはん #うちごはん #晩ごはん #夜ごはん #夕食 #料理 #手料理 #食卓 #自炊 #家庭料理 #料理好きな人と繋がりたい #暮らし #テーブルコーディネート #おうちごはんLover #food #japanesefood #foodpic #タベリー #カレー #一汁一菜 #今日の晩御飯 #手抜きごはん

yucali.mさん(@yucali.m)が投稿した動画 -

ゆかり/yukariのインスタグラム(yucali.m) - 12月5日 21時11分


(昨日のつづき)
生涯で、祖母が最も強い恋心を抱いた相手は祖父ではなく、とある小料理屋の若旦那であった。
その小料理屋のご主人(大旦那)は、白髪交じりの洒落た男性で、奥様は元芸者で綺麗な人だった。元芸者の奥様は、小料理屋の2階で唄いを教えており、祖母はたまたま習いに行った唄いの場で、その若旦那と出会ったというわけである。若旦那は、背の高い人であったと聞いている。昭和25年、祖母20歳のときの出来事であった。
祖母は、ちょくちょく話をするようになった小料理屋の若旦那に惚れ、何度か2人でデートをした。当時デートという概念があったかどうかわからないが、互いを悪からず思っている男女が2人で食事に行けば、それはデートだと言って差し支えなかろう。1度目は、近所の定食屋に昼食を食べに行ったらしい。そこで若旦那は、遠出する汽車に乗るときは、新聞を一つ買い、道中それを隅々まで読むのだと言ったそうである。祖母はそのエピソードに対しては、「けち臭い男だな」と思ったらしい。それでも、恋は盲目というか、祖母の想いを終わらせる決定打にはならなかったようだ。
2度目のデートで、若旦那は、当時珍しかったステーキを食べようと祖母を洋食屋に連れて行った。農家出身の祖母はステーキなど食べたことがなく、出されたわけのわからない肉の塊と、見たこともないナイフとフォークを前にどうしてよいかわからず、ひとくちも手をつけずに帰ったそうだ。「自分は学がないなぁと思ってね。それに、なんであの人も食べ方を教えてくれなかったのか。まったくひどい恥をかいた」と、当時を振り返り、祖母は笑った。私は小学生のころ、祖母にとうもろこしの食べ方を魚の食べ方とステーキの食べ方を教わった。そして「食べ方には人が出るから、食事は綺麗に食べなきゃいかん」という大原則も教わった。その教えを飽きるほど繰り返していたのは、このときのトラウマからきているのかな、と私は邪推している。
若旦那は、3度目のデートに「映画の券を2つ手に入れたから見に行きませんか」と、祖母を映画に誘った。戦後昭和の男も、現代平成の男も、女性を誘う方法は全然進化しないという見本である。しかしその日、祖母が働いていた店は休みではなかった。惚れた男からの誘いがあった祖母は、朝からそわそわと落ち着かない。
「今日はえっらいしょわしないがんないけ、どうしたが。(すごく焦っているようだけど、どうかした?)」と店の人に言われ、実はかくかくしかじかでと祖母は事情を話した。
「今のじっきゃお客さんもなんおらんし、つかえん。行ってこられ。(今の時期はお客さんが少ないから店を休んで構わない。映画に行ってきていいよ。)」と親切に店の人は言ってくれた。よしきたと祖母は、店を抜け出し、若旦那と映画を楽しんだ。そして「またね」と言って別れた。映画の名前は?と私は聞いたが「そんなもんわすれてしもた」とのことである。
祖母が店に戻ってみると、本店から電話が入っていた。「あんた、仕事もせんと、男と映画にいっとったそうやね、どういうことけ」と、上からこっぴどくお叱りを受けた。どこからデートの話が漏れたか知らないが、20歳の祖母にはきついお叱りだ。その日は、泣きに泣いて家に帰り、布団を被って寝てしまった。「やっぱり、あの人とはうまくいかない運命なのだ」と、若い祖母はそう思ったようだ。奇しくもその日は12月24日。クリスマスイブの日であった。
そしてなぜかその日から、若旦那からはぱたりと誘いがこなくなった。祖母は小料理屋での唄いの稽古をやめ、鬱々と落ち込んだ日を過ごした。
その日から数ヶ月経ち、若旦那から一通の手紙がきた。手紙の内容は「なんだか君は僕のせいで苦しんでいるようだ。もう付き合いはこれきりにしよう。」というようなものだった。若旦那がそんな手紙を出すに至った経緯は、今となっては知る由もない。どこからか、映画の件で向こうも怒られたのかもしれないし、ぼんやり過ごす祖母の様子を、人づてに聞いたのかもしれない。それとも丁度新しく、いい人が見つかったのかもしれない。とにかく、祖母と若旦那の仲は、それっきりになった。
(続く)
*
*
*
#おうちごはん #うちごはん #晩ごはん #夜ごはん #夕食 #料理 #手料理 #食卓 #自炊 #家庭料理 #料理好きな人と繋がりたい #暮らし #テーブルコーディネート #おうちごはんLover #food #japanesefood #foodpic #タベリー #カレー #一汁一菜 #今日の晩御飯 #手抜きごはん


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

1,523

15

2018/12/5

ゆかり/yukariを見た方におすすめの有名人

ゆかり/yukariと一緒に見られている有名人