藤岡幸夫のインスタグラム(sachio_fujioka) - 6月9日 22時13分


小中高校生の頃大好きだった「オーケストラがやってきた」のDVDを持ち歩いていて、ホテルの部屋でたまに見る。凄い刺激になるしあの頃に帰れる。
この頃は黛敏郎さんの「題名のない音楽会」芥川也寸志さんの「音楽の広場」もあり凄い時代だった…
山本直純さん素晴らしい…

2011年に書いた文章です

たまたま「マグマ大使」を観る機会があった。僕が小学生になる前に人気のあったヒーローもののテレビ実写番組で、あの頃テレビは白黒の画面で、登場するゴア(宇宙人の悪者の親分)や人間モドキが怖くてしょうがなかった。

今回見たのは綺麗なカラー画面で(当時は家のテレビが白黒だったのだ)、ゴアの顔も良く見ると可愛らしく、セットやストーリーもびっくりするくらい良くできていて質が高く作り手の情熱が伝わってくる。

登場人物達の言葉使いはとても丁寧で品格を感じるし、何よりそのストーリーは明るく、夢と優しさに溢れ昭和の生き生きとした匂いが伝わってくる。

バックで流れる音楽があまりにも素敵だったので、誰の作曲かと思ったら指揮者でも有名だった山本直純さんだった。
山本直純さんといえば、僕らの世代では毎週日曜日のテレビ番組「オーケストラがやってきた」だ。直純さんは番組で数多くの名曲を指揮するだけでなく、たくさんの指揮者やソリストを紹介して、子供達に夢を与えてくれた素晴らしい番組だった。

指揮者の山本直純さんと岩城宏之さんは学生時代からの親友で2人とも僕の師匠の渡邉暁雄先生の最初の弟子だった。

暁雄先生が亡くなられた(1990年)その日の夜、音羽のご自宅で家族の皆さんと先生にお別れをしていた。そこに岩城さんがいらして、遅れて直純さんも来られた。

直純さんは涙を流しながら部屋に入ってくると、スタンウェイのグランドピアノの上に置かれた棺の中の暁雄先生にお別れを告げて、泣きじゃくりながらそのままピアノの椅子に座って暁雄先生の十八番だったシベリウスのフィンランディアのコラールの部分を弾きはじめた。
とっても優しい音色だったのを覚えてる…。 岩城さんと直純さんが、こんなしんみりした通夜なんかアケちゃん(暁雄先生のこと)は喜ばないからもっと騒いで飲み明かそうと言いだした。
それからたくさんの思い出話でみんな笑いっぱなしの楽しい宴会になった。

すると突然直純さんが、「フジオカくん、キミはアケちゃんが可愛がった最後の弟子だろ、何か振ってみろ。俺がみてやる」といい出して、すると岩城さんが、 「アケちゃんの悲愴の最後の振り方は最高だった。それを振ってみろよ」

岩城先生が歌う怪しい音程のメロディと、直純さんのガラガラ声のリズムに合わせて僕は突然悲愴の一番最後の部分を指揮をさせられた。 「違う違う!」 「全然ダメだ…!」 何度も繰り返し指揮させられながら、岩城さんも、直純さんも、そして僕も涙が溢れて止まらなかった…。 この2ヶ月後に僕はイギリスに留学して、岩城さんにはしょっちゅうヨーロッパでお会いする機会があってたくさんのことを教えていただいたし、留学生時代はお金がなかったので高級レストランでよくご馳走してもらった。

今はもう岩城さんも、直純さんも天国にいる…。 直純さんにはなかなかお会いするチャンスがなくて、もっといろいろと教えてもらえばよかったと今では後悔してる。

岩城さんも、直純さんも夢と情熱と優しさに溢れた素晴らしい指揮者だった…。
昭和って素敵な時代でしたね。

長い文章になってごめんなさい。いつか書こうと思ってた僕の大切な思い出の話を書きました。

それではまた…! 藤岡 幸夫


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

112

3

2019/6/9

藤岡幸夫を見た方におすすめの有名人

藤岡幸夫と一緒に見られている有名人