佐伯紅緒のインスタグラム(beniosaeki) - 8月15日 23時42分
戦争というと思い出すのが亡くなった叔父の話です。
東京大空襲のあった昭和20年3月10日、当時16歳だった叔父は、国鉄(今のJR)の機関助手として田端駅構内で働いていました。
頭上から焼夷弾がばらばらと降り注ぎ、叔父は急いで先輩と貨車の下へ逃げたそうです。
そのまま翌朝になるのを待ち、電車がとまっているので田端から東向島にある自宅まで明治通りを歩き続けたのですが、道中、東京の街は丸焼けで、通り沿いには死んだ人が山積みになっていたそうです。
隅田公園、上野駅に公園口、どこもこも焼死体だらけで、今はとバス乗り場のあるあたりもひどいことになっていました。
白鬚橋にはたくさんの死んだ人が浮いていて、川面には水死体が浮かび、何ヶ月も放置されたまま行ったり来たりしていたそうです。
叔父が自宅に着いてみると、どういうわけかはるか遠くから自分の家が見えました。延焼を防ぐために隣の家までが打ち壊されてしまったためですが、当時、家には叔父の弟妹、つまり下の叔父と私の母がいました。
下の叔父の話によれば、火がすぐそこまで迫ってきてついに叔父の家の番になったとき、なぜか急に風向きが変わり、うちの一角だけが嘘のように焼け残っていたそうです。
「それがなかったら今おまえは生まれていないんだよな」
下の叔父は今でもお酒が入るたびに笑いながら私に言います。
「戦争、あれはダメだなあ。俺ぁ、アメリカは嫌ぇだ」
体験したことというのは生涯消えるものではないらしく、亡くなった叔父は92歳で亡くなるまでずっとそう言い続けていました。
私たちは、いつになったらこの試練を乗り越えられるのでしょう。
造物主に見捨てられることのないよう、私たちはもっと個々に最善を尽くした方がいいのかも知れません。
#prayfortheworld
#8月15日
#終戦記念日
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2023/8/15