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酒井宏樹のプロフィール

名前:酒井宏樹(サッカー選手)
生年月日:1990年4月12日
出身地:千葉県

3人兄弟の末っ子のため7歳上と5歳上の兄たちの影響で、6歳のころにはもうサッカーをはじめていた酒井宏樹。小学3年のときには地元のクラブチーム・柏マイティーFCへ入団して、ただただ楽しくサッカーをやっているなか、小学6年生になると柏レイソルの練習に一度だけ参加した。これがきっかけで練習生として柏レイソルの練習に呼ばれるようになり、中学校への入学と同時に柏レイソルのジュニアユースへ正式に加入することになった。当時柏レイソルU-15へ加入したときには、酒井宏樹自身、不安もあったそうだ。それは、他のプレーヤーたちの強さ。小学校からサッカーを楽しんでやってきた酒井宏樹にとって、強いメンバーが揃っているように感じた当時の柏レイソルのジュニアユースは、自分のサッカーとの向き合い方から「楽しさ」がなくなってしまうのではという不安も感じていたそうだ。
実際、酒井宏樹がジュニアユースに入った2003年は柏レイソルにとって分岐点。というのも、元サッカー選手の吉田達磨がアカデミコーチに就任し、柏レイソルのジュニアユースの育成を大きく変えようとした時期だったのだ。アカデミーコーチに就任したばかりの吉田達磨が手がけた、当時中学1年生の顔ぶれは、酒井宏樹含め、工藤壮人、指宿洋史、仙石廉、武富孝介、比嘉厚平、山崎正登、畑田真輝、島川俊郎など。ここで名前をあげている酒井宏樹の同期たちは、酒井宏樹とともにのちに柏レイソルのユースにも昇格し、全員がプロサッカー選手となった、柏レイソルユースの「黄金世代」と呼ばれるメンバーたちだ。吉田達磨の指導によって、彼らはサッカーの基礎を学び、攻撃的なボールポゼッションを中学時代から叩き込まれ、将来が期待される選手たちへと育ったのだ。そのなかの1人である酒井宏樹は、ジュニアユース時代に吉田達磨によってポジショニングを指導され、ディフェンス面が強化されたのだが、このことによってのちの活躍が大きく変化したそう。

2006年、柏レイソルのユースに昇格すると、フランス・モンテギューで行われた「モンテギュー国際大会」に出場するrU-16日本代表のメンバーにDFとして選出され、フランス遠征を経験。サッカーの才能が認められ、2008年には柏レイソルの2種登録選手になったものの、公式戦の出場はなかったが、同年の第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会に出場すると、チームは準優勝に輝いたり、ビジャレアル国際ユーストーナメントでも強豪を突破して3位を獲得するなど、柏レイソルユースのチーム力の高さを見せつけた。そして2009年に酒井宏樹はトップチームへ正式に昇格。6月にはブラジル・サンパウロ州のモジミリンECへ留学し、守備面の強化に尽力したものの、帰国した酒井宏樹に公式戦出場の機会はなく、柏レイソルはその年、J2へ降格してしまった。プロ2年目の2010年にJ2の試合で柏レイソルに入って公式戦初出場を果たすなど、1年目よりも試合に出る機会に恵まれ、柏レイソルもJ1へ復帰。酒井宏樹が柏レイソルのレギュラーになれたのは、プロ3年目の年だった。そんな転機を迎えた2011年は、柏レイソルがJリーグ史上初、昇格初年度でJ1優勝を達成する快進撃を見せたのだ。もちろんこの影には、リーグ戦27試合に出場した酒井宏樹の力もあってこそ。実際、その年のJリーグベストイレブン、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を同時受賞している。そんな活躍により、酒井宏樹は同年5月にU-22日本代表に初選出、そして10月にはA代表にも初選出された。
2011年の柏レイソルの優勝があり、2011FIFAクラブワールドカップでも全4試合に出場して爪痕を残した酒井宏樹のプレーは、世界から注目されるようになり、FIFA公式サイト上で「2012年注目の若手選手13人」に取り上げられるほどだった。そして海外クラブから多くのオファーが来た酒井宏樹は、獲得に最も熱意を感じた、ドイツのトップリーグ・ブンデスリーガのハノーファー96への移籍選んだ。

2012年に結んだハノーファー96との契約期間は3年間+1年のオプション付きで、移籍金は1億。活躍を期待されたものの、酒井宏樹は同年の日本代表として出場していたロンドンオリンピックの初戦で左足首を捻挫したりと、なかなか好調なスタートとは言えない状況だった。しかし、移籍2年目からは強さを見せ、ブンデスリーガ初得点を記録するなど、自身のポテンシャルの高さを見せつけた。ハノーファー96でのプレーは大きく斗出したことはあまりなかったものの、ハノーファー96との契約期間が終了に近づくにつれ、さまざまなチームからの声がかかった。そして2016年からはフランスのトップリーグ、リーグ・アンのオリンピック・マルセイユへ移籍。ちなみにこのオリンピック・マルセイユへの移籍は、日本代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチから、オリンピック・マルセイユはいいクラブだからこそ、そこで目立って結果を出すという難しさがあると言われたこともあり決めたそうだ。結果を出すのが難しい場所を求めて移籍した、オリンピック・マルセイユでは、開幕戦でデビュー戦ながらフル出場を果たすなど、輝かしいスタートを切った。いつも1年目で躓いてしまう酒井宏樹だが、マルセイユでの移籍1年目はゴールキーパーのヨアン・プレを除くフィールドプレーヤーで出場時間最多を記録。その出場試合数は35試合で、3012分もの時間を1シーズンで活躍するほど、酒井宏樹はマルセイユのレギュラーとしての席をきっちり確保したのだ。酒井宏樹と右サイドでコンビを組むフロリアン・トヴァンからもそのプレーを絶賛され、リュディ・ガルシア監督からも称賛された酒井宏樹は、2017年にマルセイユとの契約を延長。その契約は2021年までという長い期間になった。
マルセイユで活躍するいまも、酒井宏樹にとって大きいのはチーム力。マルセイユというチームは、個の能力はもちろん、勝つために
はチームとしてどういうプレーをするかを考える場所だという。そのチーム力は、全世界のサッカープレーヤーのなかでも1番と言われたこともあるネイマールなど、トップ選手を封じるディフェンスで培われている。ネイマールといえば、日本でも知られる超有名選手。そんなトップの選手と、酒井宏樹はリーグ・アンで戦っているのだ。ネイマールとの戦いは日常的なものであっても、やはり容易ではないもの。そこで酒井宏樹だけではなく、所属するマルセイユ全体で、ネイマールをタイトにマークするなど、思いっきりネイマール対策に講じたりしている。そのため、その粘り強いマルセイユの守りによって、ネイマールが苛立ち、試合から退場することになったこともあったのだ。これ以来、ネイマールは酒井宏樹の守りを嫌がり、ブラジル戦での再会時には、ネイマールがバランスを崩した表紙に酒井宏樹の頭を小突くシーンがあったのだが、リーグ・アンでのネイマールの退場を知っている人から見たら、ネイマールから酒井宏樹への仕返しだったのではという声もある。そんなトップ選手に意識されるほど、酒井宏樹はいまやマルセイユの顔になりつつあるのだ。

2016年夏、勝者のメンタルを手に入れるためにマルセイユへと向かった酒井宏樹のプライベートは、2014年に公になっていった。
というのも、ハノーバー96に所属していた同年8月10日に一般女性と結婚したのだ。結婚の報告まで2週間空いたのだが、サッカー選手にとって開幕前の準備期間にあったため、結婚報告が遅くなったと語っていた。結婚相手となった女性は、結婚前にもドイツでプレーする酒井宏樹を支えるため、ドイツに足を運んでプライベートの面などさまざまなサポートをしてくれていたそう。結婚報告の先日に出場したブンデスリーガの開幕戦では、対シャルケという容易ではない試合にも勝利し、勝って勝利を伝えられてよかったとSNSで安堵の声を漏らしていた。
結婚相手となった女性については一切情報が出回っていないものの、酒井宏樹とその女性の間には2015年1月に女の子が誕生している。2014年8月に結婚したことを考えると、酒井宏樹の結婚はどうやらできちゃった結婚だったようだ。そのため、ブンデスリーガ開幕直前に婚姻届を出し、結婚発表も落ち着いてからになるなどの対応があった様子。酒井宏樹は結婚生活を公にはしていないが、自身の愛娘は以前サッカー番組に登場したこともあり、酒井宏樹のSNSでも紹介されている。その愛娘は「詩多」ちゃんだとか。海外でプレーする酒井宏樹の原動力となっていることは、酒井宏樹のSNSからも溢れている。

酒井宏樹を語る上で、サッカーファンにとって忘れてはならない存在となっているのが酒井高徳だ。酒井高徳は現在ブンデスリーガのハンブルガーSVに所属し、酒井宏樹と同じく日本代表でもプレーする選手。酒井高徳も酒井宏樹も同じ「酒井」という苗字を持つが、2人に血縁関係はない。学年が同じということと、日本代表Tでいっしょにプレーするディフェンダーということもあって、仲が良いのだが、酒井という苗字やディフェンダーというポジションということもあってか、たびたび酒井宏樹が酒井高徳として海外のサッカーニュースで紹介されてしまうなど、人違いが起こっているのだ。酒井宏樹といえば、小さい頃からあだ名が「ゴリ」とつけられる、いわゆるゴリラ顔。一方、酒井高徳はドイツ人のハーフで顔は濃いもののイケメンとも言われるほど。顔が似ているわけではないのだが、海外から見ると同じ苗字ということもあり、混乱して写真と名前が合わないのか、人違いがしばしば起こるため、この入れ替えは、酒井宏樹と酒井高徳のネタみたいになっているのだ。
イケメンの酒井高徳は酒井宏樹と兄弟かと聞かれるのもうんざりのようで、兄弟かと聞く前に顔見ればわかるだろうと言い放つのだが、酒井宏樹はうれしいと思っているらしい。酒井高徳は以前、試合のパンフレットの自分の顔が、酒井宏樹になっていたこともあり、その入れ替えエピソードが語られたなど、テレビ朝日系サッカー番組「やべっちFC」は、爆笑回として多くのサッカーファンに愛された放送となった。
酒井宏樹も酒井高徳もサイドバック。結果を出さないと評価されない難しいポジションながらも、愛着があるポジションだという。ブラジルワールドカップのメンバーに選ばれるも、酒井宏樹も酒井高徳もフィールドに出る機会は恵まれなかった。当時は内田篤人がレギュラーとして君臨していたが、テーピングをぐるぐる巻きにしてまで試合に出ていた状況だったのだ。そんな状況でも出場できなかったという悔しさが2人にはあり、酒井宏樹も酒井高徳もロシアワールドカップへの意気込みが強い。日本代表の世代交代が始まり、その中心へと駒を進める酒井宏樹。今後の活躍が大きく期待されている。

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