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杉本健勇のプロフィール

名前:杉本健勇(サッカー選手)
生年月日:1992年11月18日
出身地:大阪府

大阪で生まれた杉本健勇は、小さい頃から背が高く、運動神経が抜群だったため、両親にスポーツや習い事など、いろいろなことをやれる機会を与えられていた。小学校中学年までにバレーボールや空手、水泳、そろばんなどをやっていたそうだ。このときはまだサッカーの楽しさを知らなかった杉本健勇だが、小学校4年生のときに転機が訪れる。それは、マンションからの転落事故だ。当時、杉本健勇がマンションの3階で遊んでいたところ、不注意により落下してしまい、右腕を80針も縫うほどの大怪我を負ってしまったのだ。とはいえ、とくに身体に異常はなかったものの、怪我が原因で入院することになり、それまで活発に動き回っていた杉本健勇の生活は変わり、どんどん太ってしまったそうだ。このまま太り続けてしまっては、相撲取りになるしか道はない…という危惧から、退院後に野球かサッカーをしようと考えていたところ、タイミングよく従兄弟にサッカーに誘われたことで、杉本健勇のサッカー人生はスタートしたのだ。サッカーをはじめてからは毎日サッカーを楽しむようになったため、小学校高学年にあがったときには、元サッカー日本代表のラモス瑠偉が立ち上げたFCルイ・ラモス ヴェジットという地元の少年サッカー団に入団。FCルイ・ラモス ヴェジットで杉本健勇のサッカーはつくられたのだ。

FCルイ・ラモス ヴェジットで杉本健勇を指導したのは当時の監督・金尚益。少年団に入るまでは楽しくサッカーをしていただけの杉本健勇に、金尚益監督は厳しくサッカーを叩き込んだ。ときには杉本健勇があまりにも厳しい指導に嫌気が差し、母親を通して練習を休む連絡をしたそうだが、菌尚益監督はその連絡を仮病と見破り、杉本健勇を強制的に練習に連れ出したほど。ちなみに、仮病でないときも、常に練習に駆り出されたそうだ。少年団ながらも厳しい恩師の指導に耐え、朝から晩までサッカーをやり続けたことで杉本健勇のサッカーが上達。すると杉本健勇は次第にプロへの道を描くようになった。
杉本健勇がまず夢見たのは、自分に衝撃を与えた2002年の日韓ワールドカップで一躍スターになった同じく大阪出身の日本代表、稲本潤一が所属していたガンバ大阪。稲本潤一を排出するほどのチームだったこともあり、ガンバ大阪のトップチームでプレーするため、まずはガンバ大阪ジュニアユースに入りたいと強い意志を固めていたそうだ。そしてガンバ大阪のテストを受けたいと金尚益監督に伝えるほど意思が固まったのだが、金尚益監督には「セレッソ大阪に行け」と言われてしまったのだ。セレッソ大阪よりもガンバ大阪への憧れが強かったため、反発したい気持ちはあったものの、長い練習生活のなかで杉本健勇は「金尚益監督の言うことは絶対」というルールが染み付いていたため、セレッソに行けと言われたことに一言も文句を言わず、セレッソ大阪のテストを受けに行ったそうだ。そして中学校からはセレッソ大阪ジュニアユースに入団。ここから杉本健勇のセレッソ大阪としての歴史がはじまったのだ。

はじめはガンバ大阪の方が魅力的に見えていた杉本健勇だったが、セレッソ大阪ジュニアユースに在籍してから日本代表の大久保嘉人の活躍を目にするようになると、その評価は一転。稲本潤一に憧れていた気持ちはあっさり大久保嘉人へ向いたそうだ。当時の大久保嘉人といえば、セレッソ大阪のエースであること以外に、日本代表の主力メンバーでもあった。そして大久保嘉人は負けん気の強いエースストライカーで、荒れたプレーも特徴的だったため、杉本健勇にとって憧れの的になったそうだ。
セレッソ大阪ジュニアユースとしての活躍で、中学一年生のときにジュニアユース代表に初選出され、合宿を経験。この合宿にはナショナルトレセンなどで高い技術を育んでいた宇佐美貴史など、同世代のエースたちがいたことで、杉本健勇は自分との実力の差に大きな衝撃を受けたそうだ。はじめはどうしたら勝てるかわからなかったものの、合宿が終わり、セレッソ大阪ジュニアユースの練習に戻ってからはひたすら足元の技術を徹底的に磨く練習に励んだそうだ。そして代表に呼ばれては自分の足りないものを見つけ、セレッソ大阪ジュニアユースに戻るとその練習に励むといったルーティーンで杉本健勇はどんどん成長していったのだ。そして2007年にはまだ中学生ながらも飛び級でセレッソ大阪ユースに昇格。その後高校にあがった杉本健勇は大きなステップアップを見せた。それは、2009年夏に開催された、「第33回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会」でセレッソ大阪U-18として出場し、13年ぶりのセレッソ大阪U-18、2回目の優勝へと貢献した。そして杉本健勇はこの大会のMVPに選ばれ、多くのサッカー関係者から注目される存在となると、U-17日本代表として「2009 FIFA U-17ワールドカップ」に出場した。

そして2010年6月にセレッソ大阪とトップチーム加入の契約をかわし、同年7月1日付けで高校3年生ながらセレッソ大阪のプロサッカー選手になったのだ。杉本健勇はJリーグ初出場を7月23日に果たすと、8月24日にはプロ初ゴールを達成するなどの活躍を見せて多くの試合に出場。なんと11月30日のヴィッセル神戸戦で通算450分の試合出場時間を超えてしまったため、12月1日付けでプロA契約に変更されたほど、杉本健勇は半年足らずで存在感を放つ選手になった。しかし、杉本健勇はU-23日本代表入りをして、ロンドンオリンピックに出場する目標があったため、出場機会を求めて2012年3月にJ2の東京ヴェルディ1969へ期限付き移籍を選んだ。東京ヴェルディ1969への移籍後すぐの試合でJ2初ゴールを決めるなどの活躍を見せて東京ヴェルディ1969との契約を終えることができ、その間にU-23日本代表にも無事招集され、同年7月から始まったロンドンオリンピックアジアへの出場を果たした。
ロンドンオリンピックでは日本代表として得点を獲得することはできなかったものの、しっかり爪痕を残してセレッソ大阪に帰って来た杉本健勇は、2013年にセレッソ大阪から「ポスト西澤明訓」を期待された、背番号「20」番を背負うことになった。2013年にはJ1で4位を獲得したりとセレッソ大阪の成績は悪くなかったものの、2014年にはJ1で17位という苦しい結果になり、2015年からセレッソ大阪はJ2に降格が決定。順調にプレーをつづけていた杉本健勇は、セレッソ大阪に残留しJ2からJ1への昇格を目指す道と、他のチームへ移籍する道があった。そして杉本健勇は自分のことを知らない環境でのサッカーを選び、2015年1月にJ1のチームである川崎フロンターレへ移籍し、J1での開幕戦を迎えた。杉本健勇が川崎フロンターレへ移籍したとき、杉本健勇が務めるFWのポジションにはかつて中学生時代にセレッソ大阪で出会い、憧れの存在となった大久保嘉人やFWとして台頭している小林悠がいて、杉本健勇は川崎フロンターレへ移籍することでポジション争いがはじまることも見えていた。

決して両手を広げて安心できる状況ではなく、むしろ自分からアピールしていかないと試合にも出られない状況だったが、4月には移籍後初ゴールを決めるなど、新しい環境でもやれることを証明して見せ、同年5月に行われたサッカー日本代表の合宿メンバーに選ばるほどの注目度を保っていた。しかしながら、杉本健勇の出場はなかなか思った思ったようにいかず、川崎フロンターレでのチームワークは酷評されてしまうことが多かった。そして古巣のセレッソ大阪は2015年シーズンの1年でJ1復帰を決めると、杉本健勇に移籍をオファー。杉本健勇もセレッソ大阪への復帰を選択し、同年12月には川崎フロンターレからセレッソ大阪への移籍が発表された。2016年は天皇杯の1回戦で5得点を挙げるなど、エースストライカーとしての存在感を十分披露し、自身初となるシーズン10得点を獲得するほどの調子の良さを見せると、翌年のシーズン終了時にはJ1得点ランク2位の22得点まで重ねるほど、杉本健勇とセレッソ大阪の相性の良さを見せつけ、次世代のエースストライカーとして杉本健勇への認知度は一気に上がったのだ。
そんな2017年は、杉本健勇の悲願であったタイトル獲得も達成している。なかなかタイトル獲得の機会に恵まれなかった杉本健勇は、自分が日本代表として信頼されるためにタイトル獲得を常に目標にしてきた。そして2017年のルヴァンカップで古巣のセレッソ大阪で優勝を獲得し、初タイトルをついに獲得したのだ。杉本健勇にとってはかなり印象深い大会になったのは、なんと決勝戦で2015年に自身が所属していた川崎フロンターレと対戦したことだ。ずっと憧れてきた大久保嘉人率いる川崎フロンターレに勝利し、その成長を多くの人が見届けた大会となった。そんな杉本健勇のもとには、スペインのヘタフェCFから移籍のオファーが。杉本健勇の同世代の選手たちはみな海外志向が強く、早々に移籍を決める選手なども多いのだが、杉本健勇はヘタフェCFからの移籍オファーを断り、2018年1月にセレッソ大阪と契約を更新したのだ。海外でのプレーで成長をするわけでもなく、徹底的にセレッソ大阪に尽くす杉本健勇。長身でイケメンという点からも日本代表として定着すれば、サッカーに大きく貢献するのではという期待も大きかったため、2018年のロシアワールドカップの本戦出場が期待されている。