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乾貴士のプロフィール

名前:乾貴士(サッカー選手)
生年月日:1988年6月2日
出身地:滋賀県

小学校時代に地元のセゾンフットボールクラブへ入団。チームでの練習後も一人で練習をするほどの努力家な乾貴士は、貪欲にサッカーに打ち込んだ。その努力の甲斐あって、乾貴士が中学にあがるころには、乾貴士が上手すぎてセゾンフットボールクラブではプレーできないと、入団を諦めたジュニアの選手たちもいたそうだ。しかし、当時のセゾンフットボールクラブは強くはなかったため、乾貴士の中学生時代、セゾンフットボールクラブは一勝もあげられなかったほど。そんな状況でも乾貴士は将来の道切り拓くため、目の前の勝利にこだわらず、将来世界で戦える選手になるため、今の自分に必要なことに打ち込んでいたそうだ。セゾンフットボールクラブを立ち上げた岩谷篤人の教えは、個人技にこだわったサッカー。そのため、にちに乾貴士の武器となったドリブルは、このセゾンフットボールクラブ時代に培われているのだ。そしてセゾンフットボールクラブで多くのサッカー少年を育てた岩谷篤人監督が、無名の県立高校である野洲高校のサッカー部の監督に引き抜かれると多くのサッカー少年たちは野洲高校を選んだのだ。
春高サッカー常連校の静岡学園に進学するのが主流だったにも関わらず、岩谷篤人コーチがいるからと野洲高校に多くのサッカー少年が流れると、乾貴士も後を追うように野洲高校へ入学。その後も朝早く学校に行ってサッカーの自主練をするなど、誰に強制されるわけでもなく、サッカーに多くの時間を費やしてきた。そして無名の野洲高校は、2006年に第84回全国高校サッカー選手権大会で初優勝を飾ったのだ。この大会で見せたトリッキーなドリブルとヒールパスを駆使した高度なサッカーは、あまりにも華麗だったことから“セクシーフットボール”と呼ばれるようになり、当時高校2年生だった乾貴士はもちろん注目を集める存在となったのだ。

その後、全国高校サッカー選手権大会での優勝がきっかけで、U-21日本代表に選出されたこともあった乾貴士だが、一度岩谷篤人コーチとの仲違いがあり、野洲高校のサッカー部を辞めよううとしたことがあった。それは、乾貴士が高校3年生のとき。乾貴士が絶対的な信頼を置いていた岩谷篤人コーチが、サッカーの練習中にマネージャーと話をしていたせいで、選手たちから目を離していたことがあったのだ。そんな状況に腹を立てた乾貴士は、「なんで見ないねん!」と岩谷篤人コーチにキレてしまったことでチームとの関係が気まずくなり、野洲高校のサッカー部を辞めようと考えていた時期もあったそうだ。サッカーに打ち込むあまりに、目を離されるのがつらかった乾貴士の熱い想いを理解していた野洲高校サッカー部の監督・山本佳司は乾貴士を引き止め、乾貴士は野洲高校サッカー部の部員として居続けることができたそうだ。直前に野洲高校サッカー部員たちのスパイクが相次いで盗難に遭うなどの被害があったなか、高校3年生として迎えた第85回全国高校サッカー選手権大会では3回戦で敗退してしまった。
2007年、乾貴士はサッカーを魅せるテクニックで高校卒業後、横浜F・マリノスへ入団し、同年にJリーグでプロデビューを果たした。もちろん華麗な足さばきは健在だったものの、横浜F・マリノスの主力選手の壁は厚く、なかなか出場機会を得ることはできなかった。そして出場機会を求めて2008年6月からは当時J2のセレッソ大阪にレンタル移籍したのだが、ここで香川真司と出会うことになった。香川真司と出会った乾貴士は、息のあったプレーを展開し、持ち前のテクニックを披露する機会にまた恵まれ、シーズン終了後にセレッソ大阪への完全移籍が決定し、乾貴士と香川真司のコンビは注目されるようになっていったのだ。

先にA代表に選出されていた香川真司の後を追うように、乾貴士も2009年にA代表デビューを果たすと、勢いに乗った乾貴士は所属チームのセレッソ大阪でもハットトリックを決める活躍を見せるように。そして2009年、J2のチームとして乾貴士が移籍したセレッソ大阪は、J1に昇格を果たすほどのチームとなっていた。その活躍はついに海外まで届くようになり、2011年8月にはドイツのブンデスリーガ2部・VfLボーフムへ完全移籍することになった。VfLボーフムとの契約は3年間+1年の延長オプション付き。移籍後すぐに先発出場する機会を得ると、その後もレギュラーに定着し、ドイツでのプレーを楽しんだのだが、乾貴士の1シーズン7得点の活躍も虚しく、トップリーグ・ブンデスリーガへの昇格は逃してしまった。そんななか、2012年6月にブンデスリーガに昇格するアイントラハト・フランクフルトへの完全移籍が決定。乾貴士はドイツに移って2年目にそのトップリーグ、ブンデスリーガでのプレーを果たすことになったのだ。ブンデスリーガ初得点を2012年9月にホームのハンブルガーSV戦で決めると、立て続けにゴールを量産し、3試合連続でゴールを獲得する好調さを見せつけ、2012-13シーズンは6得点をおさめる、ブンデスリーガ所属の日本人選手最多を記録したのだ。もちろんこの乾貴士の活躍は、所属チームであったアイントラハト・フランクフルトの成績にも貢献し、チームはUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得している。翌シーズンはなかなか得点に恵まれなかったものの、 A代表では初得点を決めた。
そして2015年、乾貴士はついに憧れだったスペインのトップリーグであるリーガ・エスパニョーラのSDエイバルへ完全移籍を決めることになった。SDエイバルへの移籍は、乾貴士本人たっての希望で、SDエイバルへの移籍が決まると、自身のTwitterで「夢だったスペインへの移籍が実現できて本当にうれしいです。熱心に誘ってくださったエイバルのために、しっかり結果を残せるように頑張っていきます」とコメントを残したほど。このTwitterでのSDエイバルへの移籍報告に反応したのは、かつてセレッソ大阪でコンビを組んでいた香川真司だ。その香川真司からの祝福のメッセージに速攻で「ありがとう」と返した乾貴士に、「返信はやっ!」と香川真司がツッコミを入れるなど、ここでも息のあったやりとりを見せてファンを喜ばせた。

乾貴士がSDエイバルに移籍を決めた年は、SDエイバルにとってトップリーグであるリーグ・エスパニョーラへの昇格が決まったとし。そんなSDエイバルへの移籍金は30万ユーロでおよそ4000万。当時アイントラハト・フランクフルトでの年俸は1億5000万だったということもあり、SDエイバルへの移籍金は破格ともいえる値段だが、SDエイバルは無借金クラブとして知られるクラブのため、乾貴士の移籍金4000万は、SDエイバルのクラブ史上最高額だったのだ。低予算のSDエイバルとの契約は2015年当初3年間。SDエイバルはリーグ・エスパニョーラ残留のためトップ下で起用できる汎用性の高いアタッカー、乾貴士を起用したのだ。乾貴士はスペインリーグでのプレーに憧れていたものの、スペインのサッカーを知らないことや、スペイン語を話せないことが不安視されていたのだが、移籍後にリーグ・エスパニョーラデビューを果たすと2016年1月にスペインリーグで初得点を決めたのだ。そして2016-17シーズンにはリーガ・エスパニョーラの日本人最多出場記録を更新する11試合連続スタメンを果たすほどの活躍を見せた乾貴士は、FCバルセロナ戦で2得点を獲得。スペインのトップリーグであるリーグ・エスパニョーラでも常に最高峰に君臨するほどの名門チーム、FCバルセロナから得点を奪った初めての日本人サッカー選手として世界から注目される存在へと成長を見せたのだ。
2017-18シーズンも順調に活躍を見せた乾貴士は、リーガ・エスパニョーラの12月の月間MVPの候補に選ばれるほどの注目選手へ。このとき候補にあがっていたのが、FCバルセロナのルイス・スアレスやデポルティーボ・アラバスのイバイ・ゴメスら。このトップ選手たちと肩を並べるほど、乾貴士自身憧れだったスペインのリーガ・エスパニョーラで結果を残すようになって居た。SDエイバルへの移籍後、多くの功績を残している乾貴士はその契約満了とともに移籍の噂も広がるようになり、レアル・ベティス・バロンピエが新たな移籍先になるのではという情報が飛び交うなか、乾貴士はSDエイバルへの残留の意思をマスコミに提示。乾貴士は自分を育てている憧れのスペインリーグでのプレーの意思が強く、SDエイバルとの契約延長を望んだ。スペインリーグに欠かせない存在となった乾貴士は、日本代表でももちろん主力選手だ。日本代表では長友佑都とのコンビネーションが期待される、試合を切り開く存在である乾貴士。日本でも、スペインでも、世界でも観客を沸かせるプレーが期待されている。

主な出演

・CM
ASICS SOCCER『Behind the Spotlight / Inui』…

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