玉城ちはるのインスタグラム(chiharu_tamaki) - 3月12日 19時42分
「3月11日 福島県 これからの多様性を思う」
郡山でのwelfare cafeの開所式でお話と歌を歌いました。
ここはカレッジ郡山 と言ってNPO法人 真善美さんが作られた学校に併設されたcafeです。 「知的障害のある青年が学び、青春を謳歌(おうか)する場がほしい」そうゆう思いで もともと3aという
震災後「福島第一原発事故」を受けて放射能が心配だと感じるお母さんがたが自分の思いを話せる場所を作って来た野口さんが
ご自身の息子さんも知的障害があり、作られた学校です。
子育てにおいて様々な思いを抱える同じママとして
3.11を経て支援の形というのを改めて考えさせられる時間でした。
私の従兄弟も軽度の知的障害があるのですが、子供の頃から私の母や父も地元の作業所などに連れて行ってくれることが多くありました。
おかげで独学で手話を学ぼうと思うようになったのもそのことが強く影響していると振り返ると思います。 「知的障害のある青年が学び、青春を謳歌(おうか)する場がほしいという」
その思いが詰まったこのcafeは今まで見て来たどんな作業所とも違う明るく、とにかくオシャレでした。
私を見て「かわいいねぇ」と口説いてくれるのぼるくん 笑
優しさ貯金ゲームで「センキュー」と言ってくれるりんたろうくん 笑
自分も手話ができるのだと一生懸命手話で話しかけてくれる女の子たち。
涙を流して「lineするので覚えててくださいね」と言ってくれた小さな赤ちゃんのいるお母さん。
昨日私が一番考えたことは全ての会が終わってからの
田中理事長とのお話。 ご自身も知的障害のある娘さんがいる田中さんは3時間近くいろんなお話をしてくれました。 「乳幼児から主に障がいをもつ児童に対して、保育・療育に関する事業を行い、又その者が生涯にわたり自立した生活を送ることを目標とし支援する事業を行うことで、誰もが快適に過ごすことができる社会実現に寄与することを目的とする。」 という理念にあるように 県や市などの援助を受けず全て自腹で学校を建設された理事長は「学校を作るのは簡単なんだ。もちろん簡単ではないけど、大事なのはそこじゃないんだ。 きちんと食べていけるように、私たちが死んでも子供達が生きていけるようにしなくちゃならない」そう言っていました。
学園を作るきっかけは、娘さんが養護学校を卒業したのち、ではどこで働くかとたくさんの作業所を見学に行ったそうです。その時に感じた違和感「大事な娘をどの施設にも行かせたくない」そう思ったそうです。
「障害者を食い物にされるのは/////」そうおしゃっていました。
母になり、より多文化共生とはと考えることの多くなった私にとって理事長の話はとても響きました。
留学生もそう、施設などで育った子もそう、
生活保護を受けてる人もそう、中にはそれを利用する方もいるのだろうけど、食い物にする人もいる。
震災から8年目を受けて、関わり方の変化を感じます。何かが大きく変わったし、人生が大きく変わった人もいるでしょう、でも時とともに日々の生活に密接してゆく課題も出て来ます。それはどこの場所でも同じ、
支援じゃなくて学ぶべきことがたくさんるのではないかと私は強く感じました。
今回の学びの時間をくださって 東北ヘルプさんには心から感謝します。
でもそれ以上に昨日私と歌って踊って大盛り上がりだった子供達に一番の感謝です。 「センキュー!」
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2018/3/12