下條ユリさんのインスタグラム写真 - (下條ユリInstagram)「・ 『Memento Mori /メメント・モリ』古代ラテン語の警句で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味です。 それは同時に「今を楽しみ生きろ」という趣旨があるそうです。 ・ 2011年の3月11日、 わたしは海の向こうNYで東日本大震災の知らせを聞きました。同時期、個人的にも大きな別れを経験していたわたしは、生まれた国の変わり果てたような姿を目の当たりにし、それまでに経験した別れ、家族みんなの死、すべてのものには終わりがある、という諸行無常感をひとしきり感じました。そんなとき、被災地のがれきの中で桜が咲き始めたというニュースを聞き、涙がでました。 ・ ブルックリンの街路樹に咲く桜が、遠い国の道端に散ってゆくのを見ながら、溢れる想いと祈る気持ちで、お坊さんがお数珠を一珠一珠数えて瞑想するように、ただただ桜のはなびらをおおきく、まるく描くことは、わたしを救ってくれました。 ・ わたしは自分のために絵を描く時、昔描いていたイラストレーションとちがうのは、最後までなにが描かれてゆくのかわからないのです。なにかに導かれるままに描きます。ただただ桜の花びらを描き続ける毎日、もう何枚描いたのだろう、と数えることさえ忘れた頃、その花びら1枚1枚がひとりひとりの命に見えてきました。それぞれ個性的でちがうように、愛する人を残してあちらへ旅立ったそれぞれの女の人たちの命、肉体を離れた魂のように見えてきました。その命、魂を涙の薄墨で優しく包みこむような行為は、慰霊者の方達へのレクイエム(追悼)になり、自分の気持ちへの癒しに変わりました。 ・ わたしの抽象画は言葉にする必要のない人間の想いです。観る側がどう感じるかも自由です。NYでいろいろな人種の人たちがこれらの絵に対する感想を語ってくれます。それぞれ生まれた国や年齢、価値観さえちがえど、そこにさえなんらかの共感がある時、芸術は人のこころになにかを響かせる魔法がある、絵を描いていてよかった、としみじみ思えるのです。なぜなら、今だ終わりのない戦争がつづく世の中でも、人間の普遍的なものへ対する想いはひとつである、とわたしは信じていたいのです。 ・ 生と死は、生き物の命だけでなく人と人との関係、時をかけて築くもの、森羅万象すべてにおこります。日本人の死生観は、目に見えない魂を尊び、諸行無常に美を見いだす。独特な精神性です。そんな「あちら側」と「こちら側」の境界線の曖昧さは、たぶんわたしが永遠に描きつづけていきたいテーマなんだ、と思います。  下條ユリ ( 2013年 春) ・ 311震災以降、癒しのために描いた円の五部作、その第一作目となったこの『桜』の絵は、わたしにとって生きるということと描くということに対する想いを繋げてくれた、最も大切な絵になりました。 ・ 最後の写真は2014年、生き続ける蔵、浅草#ギャラリーエフ での展覧会に来てくださった福島県内最大だった富岡町の避難所の所長さんの、忘れられない後ろ姿です。 Izumi ちゃん、今年もあなたと一緒に黙祷したよ。 ・ 『桜』 (2013) タテ1m X ヨコ1m30cm インドの手漉き紙に顔彩で着色 ・ ・ #YuriShimojoMementomori  #下條ユリメメントモリ #YuriShimojo_watercolors  #MementoMori」3月12日 14時35分 - yurishimojo

下條ユリのインスタグラム(yurishimojo) - 3月12日 14時35分



『Memento Mori /メメント・モリ』古代ラテン語の警句で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味です。
それは同時に「今を楽しみ生きろ」という趣旨があるそうです。

2011年の3月11日、
わたしは海の向こうNYで東日本大震災の知らせを聞きました。同時期、個人的にも大きな別れを経験していたわたしは、生まれた国の変わり果てたような姿を目の当たりにし、それまでに経験した別れ、家族みんなの死、すべてのものには終わりがある、という諸行無常感をひとしきり感じました。そんなとき、被災地のがれきの中で桜が咲き始めたというニュースを聞き、涙がでました。

ブルックリンの街路樹に咲く桜が、遠い国の道端に散ってゆくのを見ながら、溢れる想いと祈る気持ちで、お坊さんがお数珠を一珠一珠数えて瞑想するように、ただただ桜のはなびらをおおきく、まるく描くことは、わたしを救ってくれました。

わたしは自分のために絵を描く時、昔描いていたイラストレーションとちがうのは、最後までなにが描かれてゆくのかわからないのです。なにかに導かれるままに描きます。ただただ桜の花びらを描き続ける毎日、もう何枚描いたのだろう、と数えることさえ忘れた頃、その花びら1枚1枚がひとりひとりの命に見えてきました。それぞれ個性的でちがうように、愛する人を残してあちらへ旅立ったそれぞれの女の人たちの命、肉体を離れた魂のように見えてきました。その命、魂を涙の薄墨で優しく包みこむような行為は、慰霊者の方達へのレクイエム(追悼)になり、自分の気持ちへの癒しに変わりました。

わたしの抽象画は言葉にする必要のない人間の想いです。観る側がどう感じるかも自由です。NYでいろいろな人種の人たちがこれらの絵に対する感想を語ってくれます。それぞれ生まれた国や年齢、価値観さえちがえど、そこにさえなんらかの共感がある時、芸術は人のこころになにかを響かせる魔法がある、絵を描いていてよかった、としみじみ思えるのです。なぜなら、今だ終わりのない戦争がつづく世の中でも、人間の普遍的なものへ対する想いはひとつである、とわたしは信じていたいのです。

生と死は、生き物の命だけでなく人と人との関係、時をかけて築くもの、森羅万象すべてにおこります。日本人の死生観は、目に見えない魂を尊び、諸行無常に美を見いだす。独特な精神性です。そんな「あちら側」と「こちら側」の境界線の曖昧さは、たぶんわたしが永遠に描きつづけていきたいテーマなんだ、と思います。

下條ユリ ( 2013年 春)

311震災以降、癒しのために描いた円の五部作、その第一作目となったこの『桜』の絵は、わたしにとって生きるということと描くということに対する想いを繋げてくれた、最も大切な絵になりました。

最後の写真は2014年、生き続ける蔵、浅草#ギャラリーエフ での展覧会に来てくださった福島県内最大だった富岡町の避難所の所長さんの、忘れられない後ろ姿です。
Izumi ちゃん、今年もあなたと一緒に黙祷したよ。

『桜』 (2013)
タテ1m X ヨコ1m30cm
インドの手漉き紙に顔彩で着色


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2020/3/12

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