山田弥希寿のインスタグラム(mikitoshi_617) - 4月17日 19時17分
【振り返りシリーズ】アナウンサー試験編
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東京のアナウンススクールの門を叩いた。
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そこには私同様、アナウンサーを目指す若者がたくさんいた。
私は地方の大学から来ている。
「普通に授業を受けていたのでは話にならない。」
これは高校野球を通して学んだことだ。
「誰でもできることを積極的に行う。」
集合時間は誰よりも早く行き、最前列の真ん中に座る。
とにかくやれることはすべてやる。
周りを気にして何もしなければ、アナウンサーになれるはずがないとわかっていた。
この積極的な姿勢に興味を持った有名大学の学生がいた。
そこから交友関係が広がり、アナウンススクールの中心グループに入ることができた。
積極的な姿勢を見せていなければ、何もなく広島に帰ることになっていただろう。
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そして迎えたアナウンサー試験。
まずは東京からはじまった。
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「いつもテレビで見ていた番組がこの場所で収録されているのか・・・」
毎年、数千人がアナウンサーを志すと言われている。
キー局(東京)の放送局は、数千人の中で数人アナウンサーになれるかどうか。
私は萎縮することなく、情熱をぶつけ、数十人のところまで残った。
あと少し!そう思った次の試験で、先に進むことができなくなった。
ただ、この時思った。
地方出身だからといって、萎縮することはない。
「なぜアナウンサーになりたいのか」
「そのために何をやってきたか」
「どんなアナウンサーになりたいか」
今あげたのはほんの一部だが、しっかりと伝えることができれば道は開ける。
そして何より情熱を持って伝えること。
反対に言えば、私はそれしかなかったのだが・・・(笑)
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大阪、名古屋・・・
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そして地元広島の試験。
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祖父母が四六時中聞いている地元の老舗局に、
就職試験で一番仲良くなった友達と最終試験まで残った。
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「2人で一緒に入社しようぜ!」と最終試験当日もLINEでやり取りをしていた。
私の次に友達が試験を受け、結果を待った。
連絡はない・・・
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と、その時!友達からメッセージが届いた。
「連絡がきたよ!ミッキーは?!」どうやら友達は内定が出たらしい。
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私は最高の祖父母孝行をあと一歩のところで手にできなかった。
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「悔しかった。」
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地元広島の放送局を落ちてからすぐに、山陰放送の試験があった。
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「アナウンサーになることを諦めない。」
内定が出た。
地元広島から近い、そしてラジオがある。
夢であったアナウンサーの切符を掴んだ。
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結局40社近くの放送局を受けた。
書類で落ちて、話すら聞いてもらえないこともあった。
何度も落ちて、瀬戸内海を眺めながら、自問自答を繰り返したこともあった。
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「必ずやってやる。」と信じて進めば、未来は切り開ける。
諦めない心。何度でも立ち上がる。
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ご縁があり山陰放送に内定した。
アナウンサーとしての仕事がはじまる。
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次回→山陰で過ごした4年間
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2020/4/17