山田弥希寿さんのインスタグラム写真 - (山田弥希寿Instagram)「【振り返りシリーズ】アナウンサー試験編 ・ 東京のアナウンススクールの門を叩いた。 ・ そこには私同様、アナウンサーを目指す若者がたくさんいた。  私は地方の大学から来ている。 「普通に授業を受けていたのでは話にならない。」 これは高校野球を通して学んだことだ。 「誰でもできることを積極的に行う。」 集合時間は誰よりも早く行き、最前列の真ん中に座る。 とにかくやれることはすべてやる。 周りを気にして何もしなければ、アナウンサーになれるはずがないとわかっていた。 この積極的な姿勢に興味を持った有名大学の学生がいた。 そこから交友関係が広がり、アナウンススクールの中心グループに入ることができた。 積極的な姿勢を見せていなければ、何もなく広島に帰ることになっていただろう。 ・ そして迎えたアナウンサー試験。 まずは東京からはじまった。 ・ 「いつもテレビで見ていた番組がこの場所で収録されているのか・・・」 毎年、数千人がアナウンサーを志すと言われている。 キー局(東京)の放送局は、数千人の中で数人アナウンサーになれるかどうか。 私は萎縮することなく、情熱をぶつけ、数十人のところまで残った。 あと少し!そう思った次の試験で、先に進むことができなくなった。 ただ、この時思った。 地方出身だからといって、萎縮することはない。 「なぜアナウンサーになりたいのか」 「そのために何をやってきたか」 「どんなアナウンサーになりたいか」 今あげたのはほんの一部だが、しっかりと伝えることができれば道は開ける。 そして何より情熱を持って伝えること。 反対に言えば、私はそれしかなかったのだが・・・(笑) ・ 大阪、名古屋・・・ ・ そして地元広島の試験。 ・ 祖父母が四六時中聞いている地元の老舗局に、 就職試験で一番仲良くなった友達と最終試験まで残った。 ・ 「2人で一緒に入社しようぜ!」と最終試験当日もLINEでやり取りをしていた。 私の次に友達が試験を受け、結果を待った。 連絡はない・・・ ・ と、その時!友達からメッセージが届いた。 「連絡がきたよ!ミッキーは?!」どうやら友達は内定が出たらしい。 ・ 私は最高の祖父母孝行をあと一歩のところで手にできなかった。 ・ 「悔しかった。」 ・ 地元広島の放送局を落ちてからすぐに、山陰放送の試験があった。 ・ 「アナウンサーになることを諦めない。」 内定が出た。 地元広島から近い、そしてラジオがある。 夢であったアナウンサーの切符を掴んだ。 ・ 結局40社近くの放送局を受けた。 書類で落ちて、話すら聞いてもらえないこともあった。 何度も落ちて、瀬戸内海を眺めながら、自問自答を繰り返したこともあった。 ・ 「必ずやってやる。」と信じて進めば、未来は切り開ける。 諦めない心。何度でも立ち上がる。 ・ ご縁があり山陰放送に内定した。 アナウンサーとしての仕事がはじまる。 ・ 次回→山陰で過ごした4年間 ・ #振り返りシリーズ #アナウンサー #アナウンサー試験 #就職試験 #就職活動 #就活 #大学生 #学生 #就活生 #夢 #諦めない心 #山田弥希寿 ・」4月17日 19時17分 - mikitoshi_617

山田弥希寿のインスタグラム(mikitoshi_617) - 4月17日 19時17分


【振り返りシリーズ】アナウンサー試験編

東京のアナウンススクールの門を叩いた。

そこには私同様、アナウンサーを目指す若者がたくさんいた。 
私は地方の大学から来ている。
「普通に授業を受けていたのでは話にならない。」
これは高校野球を通して学んだことだ。
「誰でもできることを積極的に行う。」
集合時間は誰よりも早く行き、最前列の真ん中に座る。
とにかくやれることはすべてやる。
周りを気にして何もしなければ、アナウンサーになれるはずがないとわかっていた。
この積極的な姿勢に興味を持った有名大学の学生がいた。
そこから交友関係が広がり、アナウンススクールの中心グループに入ることができた。
積極的な姿勢を見せていなければ、何もなく広島に帰ることになっていただろう。

そして迎えたアナウンサー試験。
まずは東京からはじまった。

「いつもテレビで見ていた番組がこの場所で収録されているのか・・・」
毎年、数千人がアナウンサーを志すと言われている。
キー局(東京)の放送局は、数千人の中で数人アナウンサーになれるかどうか。
私は萎縮することなく、情熱をぶつけ、数十人のところまで残った。
あと少し!そう思った次の試験で、先に進むことができなくなった。
ただ、この時思った。
地方出身だからといって、萎縮することはない。
「なぜアナウンサーになりたいのか」
「そのために何をやってきたか」
「どんなアナウンサーになりたいか」
今あげたのはほんの一部だが、しっかりと伝えることができれば道は開ける。
そして何より情熱を持って伝えること。
反対に言えば、私はそれしかなかったのだが・・・(笑)

大阪、名古屋・・・

そして地元広島の試験。

祖父母が四六時中聞いている地元の老舗局に、
就職試験で一番仲良くなった友達と最終試験まで残った。

「2人で一緒に入社しようぜ!」と最終試験当日もLINEでやり取りをしていた。
私の次に友達が試験を受け、結果を待った。
連絡はない・・・

と、その時!友達からメッセージが届いた。
「連絡がきたよ!ミッキーは?!」どうやら友達は内定が出たらしい。

私は最高の祖父母孝行をあと一歩のところで手にできなかった。

「悔しかった。」

地元広島の放送局を落ちてからすぐに、山陰放送の試験があった。

「アナウンサーになることを諦めない。」
内定が出た。
地元広島から近い、そしてラジオがある。
夢であったアナウンサーの切符を掴んだ。

結局40社近くの放送局を受けた。
書類で落ちて、話すら聞いてもらえないこともあった。
何度も落ちて、瀬戸内海を眺めながら、自問自答を繰り返したこともあった。

「必ずやってやる。」と信じて進めば、未来は切り開ける。
諦めない心。何度でも立ち上がる。

ご縁があり山陰放送に内定した。
アナウンサーとしての仕事がはじまる。

次回→山陰で過ごした4年間

#振り返りシリーズ #アナウンサー #アナウンサー試験 #就職試験 #就職活動 #就活 #大学生 #学生 #就活生 #夢 #諦めない心 #山田弥希寿


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2020/4/17

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