宮崎宣子のインスタグラム(miyazaki_nobuko) - 3月11日 22時51分
3.11
私は日本テレビのアナウンス部にいました。
28階のフロアーが、一瞬グラリと揺れたかと思うと、
ガラスの扉がガシャンと言い始め、
必死に押さえました。
その時の津波の映像は今でも鮮明に覚えています。
しばらくしてから被災地へも伺いました。
エブリのコーナーのロケで、陸前高田市の保育園へアンパンと一緒に行って皆んなで踊ったんですが、
プレハブの幼稚園で怖かった経験をしたであろう子供達が大人達を励ましてくれているように思えました。
園長先生が子供を抱えて濁流の中、必死にしがみついたという体育館へも向かい、
当時の生々しい水の跡が残っていました。
全て流されて平地となった場所では、
家があったであろう土台のブロックがいくつか点々とありました。
呆然と立ち尽くし、何も言葉が出なかった。
帰りの新幹線でも一言も話さなかった。
いや、話せなかった…
あれから12年…
癒えることはあるのだろうか。
街は活気を取り戻しているようにテレビからは見えた。
人は前を向いて生きていかなくてはならない。
決して忘れはしないが、
もう、被災地ではなく新たな一歩を踏み出している光景に当時のロケを思い出し涙がでました。
これから先も何が起こるか分からない。
後悔なく生きなくてはならないと、
そして命の尊さを見つめ直す日になりました。
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#東日本大震災
#忘れない
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2023/3/11