渡辺真起子のインスタグラム(watanabe_makiko) - 8月9日 14時08分
私は実家に暮らしている。
なので、いろいろなものがある。アルバムが大量である。100年前の写真なんかあったりして、どうしていいやらわからない。
父方の祖母は常陸大子の女子校で家庭科の先生をしていた。
その仕事を辞めるときに会を開催していただき、そのお礼の手紙を息子の嫁である、私の母が丁寧に保存していた。
祖父は軍医で南方で爆死した。
1944年8月29日、35歳。
終戦の一年前である。
私はそのことを私の父の葬儀の時に知った。
ずっと病死したと聞かされていたから。なぜ、祖母も父も、そう言っていたのかを考えた。
本当の理由は本人たちから聞いていないのでわからないけれど、おかげで私は誰かを具体的に恨まないで世界を学ぶことができたと思っている。そして、祖母や両親の平和への願いを考えた。
祖母の集いへ参加してくれた方へのお礼の手紙の日付は彼女が亡くなる年の元旦で、その年の夏、61歳で亡くなった。
私は祖母が大好きだった。
今日は長崎原爆の日。
戦争は何もかも壊してしまう。この星ごと壊してしまうんだ。
祖母の礼状の最後の部分を抜粋。
”この友情に応えてゆくためには、どこの土地にいても心を一つにすることの出来る、平和への道を歩むことだと思っています。
再び、夫や息子たちを戦場に送らない為には、もっともっと積極的に多面的に行動してゆきたいと思っています。
今年も大変な年になりそうですが、どうぞ皆様御健康にお気をつけられご活躍をされることを願います。”
彼女は最後の時まで、世界が平和への道を見つけられるようにと努めていた。
その意志をしっかりと引き継ぎ、
私なりになるだろうけれど、
精一杯努めたい。
No War.
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2023/8/9