職人.comさんのインスタグラム写真 - (職人.comInstagram)「【寿司】  日本料理を代表する寿司。握り寿司は、1800年ごろの江戸で生まれました。それまで寿司といえば、なれずしや箱寿司、かぶら寿司など手間と時間がかかる料理でしたが、江戸時代に京都から押し寿司が伝えられ、しだいに江戸の屋台でも販売されるようになりました。  当時の江戸は、屋台などの外食産業が発達しており、1657年の明暦の大火の復旧作業のため全国から集まった職人に向けて屋台が設けられたのが始まりとされています。ほかにも参勤交代の武士たちや庶民たちにとって、安価で手軽に食事ができる屋台は重宝されていました。  そんな中、江戸の寿司職人・華屋與兵衛(はなやよへえ)は、押し寿司の開発を試みる中で、更に手早く作れる「握り寿司」を考案します。酢を混ぜた米に魚介類をのせることで、客の前で握ってすぐに食べることができるファストフードとして人気を博しました。  しかし、当時の寿司はおにぎりほどの大きさがあり、食べづらいのが難点でした。寿司を求める客層には大工や左官などの労働者が多く、彼らの腹を満たすため、おのずと大きく作られていました。そこで、華屋與兵衛は、寿司を2つに切ることで食べやすくなるように工夫し、その評判に拍車をかけます。現在、寿司が2貫で提供される起源はここにあるのです。  江戸の暮らしが記された『守貞謾稿』には、江戸に並ぶ屋台の中で寿司と天ぷらが多くを占めていたことが書かれ、アナゴやコハダ、マグロ、玉子、海苔巻きなど、今とそう変わらないネタがすでに食べられていたこともうかがえます。その後、寿司屋は続々と増えていき、寺社の門前や大通り、季節の行事などにも屋台が出店するようになりました。  屋台の寿司屋は、江戸時代以降、戦後の高度経済成長期まで続きましたが、衛生上の理由から廃止されてしまいます。廉価な寿司店は存在しながらも、寿司は高級な料理の部類に分類され、庶民にとっては贅沢な食べ物となった時代もありました。しかし、1958年に大阪で回転寿司店「廻る元禄ずし」が開店したのを皮切りに、全国的に回転寿司や持ち帰り寿司が普及、1980年ごろに再び寿司はその庶民性を取り戻し、日本人の生活に根ざした食べ物へとなっていったのです。  山一 すし飯台 https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/sushi.html 山一 押し寿司型 https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/oshi.html  参考資料 http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/edo-reference03.html https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00962/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%89%8D%E5%AF%BF%E5%8F%B8 https://sushiwalker.com/feature/5727/  @shokunincom  #職人ドットコム #京都市 #上京区 #中京区 #西陣 #キッチン用品 #調理道具 #調理器具 #料理道具 #台所道具 #手仕事 #暮らしの道具 #握り寿司 #山一 #すし飯台 #飯台 #さわらの飯台 #木曽さわら #押し寿司型 #押し寿司 #握り寿司の起源 #握り寿司の始まり #華屋與兵衛 #はなやよへえ #江戸時代の寿司 #江戸のファストフード #江戸時代のファストフード #廻る元禄ずし #守貞謾稿」8月9日 16時40分 - shokunincom

職人.comのインスタグラム(shokunincom) - 8月9日 16時40分


【寿司】

日本料理を代表する寿司。握り寿司は、1800年ごろの江戸で生まれました。それまで寿司といえば、なれずしや箱寿司、かぶら寿司など手間と時間がかかる料理でしたが、江戸時代に京都から押し寿司が伝えられ、しだいに江戸の屋台でも販売されるようになりました。

当時の江戸は、屋台などの外食産業が発達しており、1657年の明暦の大火の復旧作業のため全国から集まった職人に向けて屋台が設けられたのが始まりとされています。ほかにも参勤交代の武士たちや庶民たちにとって、安価で手軽に食事ができる屋台は重宝されていました。

そんな中、江戸の寿司職人・華屋與兵衛(はなやよへえ)は、押し寿司の開発を試みる中で、更に手早く作れる「握り寿司」を考案します。酢を混ぜた米に魚介類をのせることで、客の前で握ってすぐに食べることができるファストフードとして人気を博しました。

しかし、当時の寿司はおにぎりほどの大きさがあり、食べづらいのが難点でした。寿司を求める客層には大工や左官などの労働者が多く、彼らの腹を満たすため、おのずと大きく作られていました。そこで、華屋與兵衛は、寿司を2つに切ることで食べやすくなるように工夫し、その評判に拍車をかけます。現在、寿司が2貫で提供される起源はここにあるのです。

江戸の暮らしが記された『守貞謾稿』には、江戸に並ぶ屋台の中で寿司と天ぷらが多くを占めていたことが書かれ、アナゴやコハダ、マグロ、玉子、海苔巻きなど、今とそう変わらないネタがすでに食べられていたこともうかがえます。その後、寿司屋は続々と増えていき、寺社の門前や大通り、季節の行事などにも屋台が出店するようになりました。

屋台の寿司屋は、江戸時代以降、戦後の高度経済成長期まで続きましたが、衛生上の理由から廃止されてしまいます。廉価な寿司店は存在しながらも、寿司は高級な料理の部類に分類され、庶民にとっては贅沢な食べ物となった時代もありました。しかし、1958年に大阪で回転寿司店「廻る元禄ずし」が開店したのを皮切りに、全国的に回転寿司や持ち帰り寿司が普及、1980年ごろに再び寿司はその庶民性を取り戻し、日本人の生活に根ざした食べ物へとなっていったのです。

山一 すし飯台
https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/sushi.html
山一 押し寿司型
https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/oshi.html

参考資料
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/edo-reference03.html
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00962/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%89%8D%E5%AF%BF%E5%8F%B8
https://sushiwalker.com/feature/5727/

@職人.com

#職人ドットコム #京都市 #上京区 #中京区 #西陣 #キッチン用品 #調理道具 #調理器具 #料理道具 #台所道具 #手仕事 #暮らしの道具 #握り寿司 #山一 #すし飯台 #飯台 #さわらの飯台 #木曽さわら #押し寿司型 #押し寿司 #握り寿司の起源 #握り寿司の始まり #華屋與兵衛 #はなやよへえ #江戸時代の寿司 #江戸のファストフード #江戸時代のファストフード #廻る元禄ずし #守貞謾稿


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

69

0

2023/8/9

職人.comを見た方におすすめの有名人

IT・通信のおすすめグループ