石井リナさんのインスタグラム写真 - (石井リナInstagram)「機織りや裁縫は、「女性の仕事」なのか、 これからも「母」を思い出す記憶であり続けるんだろうか…  そんなことを考えるきっかけになったのは、富士山の麓で行われている、テキスタイルの祭典Fuji Textile Weekに伺ってからのこと。  (※参加費や交通費として謝礼を頂いているので #PR なのですが、内容を確認していただいたものではなく、フェミニズム回顧録になりました…)  機織りの産地として栄えた富士吉田市が主催となり、テキスタイルアートからラグなどのプロダクトまで、10ヶ所程度のスポットを回遊しながら楽しめるアートイベント。  現代アーティストの清川あさみさんの作品や、Twitterで拝見しておりいつか見てみたいと思っていた、3Dペンで洋服を作られている津野青嵐さんの作品などユニークなキュレーションがなされています。  沖潤子さんの作品の、たくさんの糸が置いてある作品を拝見した際に裁縫にまつわる記憶が、どどどっと鮮明に蘇ってきて。  母と何度も一緒にユザワヤに行ったこと、好きなキャラクターが入った生地で体操服入れやバッグを作ってくれたこと。  小学生のときにはバレエの衣装を母が作ってくれていたこと。  中学時代のダンス部では、今度は私自身が夜な夜なミシンに向き合い衣装を作っていたこと。  泣きべそをかいて、父親に助けを求めても、「裁縫だけはできないんだ、悪いな」と言われたこと。  (家事育児に接点がないというわけではなく、私と妹の中高6年間のお弁当作りや朝食作りを担当していた、そんな父です。)  中高一貫校、男女別学という東京でも稀な環境で、高校の家庭科の授業では女子だけが反物から浴衣を縫い上げるプログラムがあったこと。  触る機会が多かったのでミシンへの苦手意識はなく、裁縫も好きだったこと。むしろ好意的に捉えていたこと。  大学生になってから入ったダンスサークルでは課された衣装作りが難しすぎて、裁縫を仕事としていた祖母を頼ったこと。  裁縫の記憶となると、登場人物がすべて女性であること。  そして、「母」や「祖母」と私を繋ぐ、良き思い出にもなっていたこと。  でも、待って… それって美談なんでしたっけ、と。  機織りの産地として栄えた富士吉田市でも「ガチャっとひとおりすれば1万円儲かる」と言われるほど景気が良かった時代があり、機織り工場で働く女性たちは「織姫」と呼ばれるほど、女性の労働は重要視されていたそう。  その後、外国産の安い生地の輸入により、富士吉田の機織り産業も衰退していくそうですが、  高度経済成長とともに、家業から企業が主体となり、法律や社会のスティグマにより女性たちが労働市場から追い出されていくわけです。  これは、今年ノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン氏が説明していて、  1800年代の工業化が進む以前の方が、1900年初頭と比べて女性たちが労働市場に参加する傾向が強かったこと、つまり、1800年代から2000年代にかけて右肩あがりではなく、U字型の曲線で女性たちが労働市場に参加していることを結論づけています。  これは米国だけでなく多くの国でそうした傾向があることがわかっていて、特に日本の高度経済成長期とアメリカのそれは時期こそずれるものの、同じU字曲線があったのだろうと思います。  仕事だけではなく、趣味の領域にもジェンダーギャップはあり、釣りやゴルフなどが男性の趣味とされ、裁縫や手芸、読書などが女性の趣味とされてきて、  女性の趣味は、家事や育児の手を止め、家の中で断続的にできること。男性の趣味は1日家をあけてできること。これらの違いをホビーギャップと言ったりもするそう。  一度、労働市場から女性たちが退場させられ、家事育児を任せられる場面でも続けられた裁縫や手芸。  そんな背景から機織りや裁縫にまつわるものは現代に続くまで「女性の仕事」「女性の趣味」となっていたのだろうなあと思うと、家父長的な社会ではテキスタイルアートがなかなかアートとして認められづらいことにも合点がいくし  私が母や祖母との絆と思えたあの温かい記憶は温かいものとして残しておいていいのだろうかと、いろんな疑問や悲しみがほろほろと。  男性たちが、父や祖父と魚釣りやゴルフに出掛けた記憶をもとに自分の子供とそれをし、女性たちが母や祖母を思い出しながらも子供のためにミシンに向き合う。  そんな未来があるならば、なんて再生産的な…と思ってしまったわけです。  ※1900年代のバウハウスでも、女性の入学こそ認められていたが、女性の領域とされた分野に彼女たちを追いやり織物工房などは「女性クラス」と呼ばていたこと、織物は工芸として扱われ、芸術と造形のヒエラルキーの中で最底辺層に位置していたことなどの記述もありました。  話が長くなってしまったけど、アートを見る中でどうしてもフェミニズムと絡めて考えることが多くなり、私の中でもいろんな点と点を繋ぎ合わせて思考する、新しい趣味のような時間にもなっています。  そんなきっかけをくれたFuji Textile Weekは12月17日まで開催されています。  富士山とアートイベント、紅葉の秋にぴったりの時間を過ごせると思います🗻🍂」11月30日 21時19分 - rina_ishii_99

石井リナのインスタグラム(rina_ishii_99) - 11月30日 21時19分


機織りや裁縫は、「女性の仕事」なのか、
これからも「母」を思い出す記憶であり続けるんだろうか…

そんなことを考えるきっかけになったのは、富士山の麓で行われている、テキスタイルの祭典Fuji Textile Weekに伺ってからのこと。

(※参加費や交通費として謝礼を頂いているので #PR なのですが、内容を確認していただいたものではなく、フェミニズム回顧録になりました…)

機織りの産地として栄えた富士吉田市が主催となり、テキスタイルアートからラグなどのプロダクトまで、10ヶ所程度のスポットを回遊しながら楽しめるアートイベント。

現代アーティストの清川あさみさんの作品や、Twitterで拝見しておりいつか見てみたいと思っていた、3Dペンで洋服を作られている津野青嵐さんの作品などユニークなキュレーションがなされています。

沖潤子さんの作品の、たくさんの糸が置いてある作品を拝見した際に裁縫にまつわる記憶が、どどどっと鮮明に蘇ってきて。

母と何度も一緒にユザワヤに行ったこと、好きなキャラクターが入った生地で体操服入れやバッグを作ってくれたこと。

小学生のときにはバレエの衣装を母が作ってくれていたこと。

中学時代のダンス部では、今度は私自身が夜な夜なミシンに向き合い衣装を作っていたこと。

泣きべそをかいて、父親に助けを求めても、「裁縫だけはできないんだ、悪いな」と言われたこと。

(家事育児に接点がないというわけではなく、私と妹の中高6年間のお弁当作りや朝食作りを担当していた、そんな父です。)

中高一貫校、男女別学という東京でも稀な環境で、高校の家庭科の授業では女子だけが反物から浴衣を縫い上げるプログラムがあったこと。

触る機会が多かったのでミシンへの苦手意識はなく、裁縫も好きだったこと。むしろ好意的に捉えていたこと。

大学生になってから入ったダンスサークルでは課された衣装作りが難しすぎて、裁縫を仕事としていた祖母を頼ったこと。

裁縫の記憶となると、登場人物がすべて女性であること。

そして、「母」や「祖母」と私を繋ぐ、良き思い出にもなっていたこと。

でも、待って…
それって美談なんでしたっけ、と。

機織りの産地として栄えた富士吉田市でも「ガチャっとひとおりすれば1万円儲かる」と言われるほど景気が良かった時代があり、機織り工場で働く女性たちは「織姫」と呼ばれるほど、女性の労働は重要視されていたそう。

その後、外国産の安い生地の輸入により、富士吉田の機織り産業も衰退していくそうですが、

高度経済成長とともに、家業から企業が主体となり、法律や社会のスティグマにより女性たちが労働市場から追い出されていくわけです。

これは、今年ノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン氏が説明していて、

1800年代の工業化が進む以前の方が、1900年初頭と比べて女性たちが労働市場に参加する傾向が強かったこと、つまり、1800年代から2000年代にかけて右肩あがりではなく、U字型の曲線で女性たちが労働市場に参加していることを結論づけています。

これは米国だけでなく多くの国でそうした傾向があることがわかっていて、特に日本の高度経済成長期とアメリカのそれは時期こそずれるものの、同じU字曲線があったのだろうと思います。

仕事だけではなく、趣味の領域にもジェンダーギャップはあり、釣りやゴルフなどが男性の趣味とされ、裁縫や手芸、読書などが女性の趣味とされてきて、

女性の趣味は、家事や育児の手を止め、家の中で断続的にできること。男性の趣味は1日家をあけてできること。これらの違いをホビーギャップと言ったりもするそう。

一度、労働市場から女性たちが退場させられ、家事育児を任せられる場面でも続けられた裁縫や手芸。

そんな背景から機織りや裁縫にまつわるものは現代に続くまで「女性の仕事」「女性の趣味」となっていたのだろうなあと思うと、家父長的な社会ではテキスタイルアートがなかなかアートとして認められづらいことにも合点がいくし

私が母や祖母との絆と思えたあの温かい記憶は温かいものとして残しておいていいのだろうかと、いろんな疑問や悲しみがほろほろと。

男性たちが、父や祖父と魚釣りやゴルフに出掛けた記憶をもとに自分の子供とそれをし、女性たちが母や祖母を思い出しながらも子供のためにミシンに向き合う。

そんな未来があるならば、なんて再生産的な…と思ってしまったわけです。

※1900年代のバウハウスでも、女性の入学こそ認められていたが、女性の領域とされた分野に彼女たちを追いやり織物工房などは「女性クラス」と呼ばていたこと、織物は工芸として扱われ、芸術と造形のヒエラルキーの中で最底辺層に位置していたことなどの記述もありました。

話が長くなってしまったけど、アートを見る中でどうしてもフェミニズムと絡めて考えることが多くなり、私の中でもいろんな点と点を繋ぎ合わせて思考する、新しい趣味のような時間にもなっています。

そんなきっかけをくれたFuji Textile Weekは12月17日まで開催されています。

富士山とアートイベント、紅葉の秋にぴったりの時間を過ごせると思います🗻🍂


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2023/11/30

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