宮崎宣子のインスタグラム(miyazaki_nobuko) - 9月11日 22時49分
2001年9月12日のボストン行きのチケットを持っていました。
その前日、アメリカ同時多発テロが起き、
もちろん、ボストン行きの飛行機は自動的にキャンセルとなり、5日間空港がクローズになりました。
日本でテロの映像を見ながら、どうしようと考えましたが、親の反対を押し切り、
空港がオープンした6日目にボストンへ飛びました。
ボストンに着くなり、
ニューヨークまで運転してもらい、途中からの交通規制からは、現場近くまで歩きました。
まだ瓦礫が残り、煙も出ており、
建物の中の残骸が無惨に道路まで溢れていて、
ファイヤーマンが水を撒いていました。
近くのセントラル・パークでは、
沢山の遺族のメッセージや、お花、写真が貼られ、ただボーっと見ているしかできませんでした。
涙を流す姿の傍ら、ひときは感じたのは、
アメリカ🇺🇸の一体感。
こういう時だからこそ、声を掛け合い、助け合い、励まし合う。
どの家の玄関にも国旗を掲げ、スーパーの買い物の袋にはアメリカ国旗のシールが入っていて、
すれ違う人が、毎回、
Are you Ok?と声をかけてくれ、
洋服のどこかに国旗を身につけていました。
普段自由の国のイメージが強かったけれど、
ピンチな時は一気に団結して、相手のことを気にかけて、大丈夫?頑張りましょう!
と、知らない人同士でハグし合う姿を目の当たりにしました。
あの時の体験を語ることはないまま、
20年の歳月が過ぎました。
グラウンドゼロには、記念館があり4年前に見てきました。
当時の様子が再現してされていますが、
現場を見た私からすると、あのなんとも言えない臭い、すれ違う人の表情、街の雰囲気を、生々しく覚えているだけに比べものにならなかったです。
当時、まだ大学4年の21歳でした。
日本テレビに内定しており、
この経験をしてからは、
正直、報道に進もうと希望を出し続けました。
叶わなかったけど…
今でもそうですが、
基本的に人の意見は聞かないです。
実際に自分の目で確かめるまでは、噂話に耳は傾けない…
もちろんそれで失敗することも多々あるけど、きっとこの性格は変わらないと思います。
そして、今、コロナという世界的な問題にぶち当たっている中で、当時のことを思い出しました。
こういう時だからこそ、助け合い、励まし合い、一団となって立ち向かわなければいけない…
あの人がコロナらしいとか、
あの人は、濃厚接触者になったらしい、
ワクチン打った、打たない、まだ打てない、
色々な声が届いてきますが、
とにかく困っていたら助ける、
困っていたら、助けを求める。
こんなシンプルなことをアメリカで学びました。
日本人は、とても気を遣う、空気を読む
情緒を面に出さない奥ゆかしい文化があります。
でも、辛かったり、しんどかったり、
泣きたかったり、話を聞いて欲しかったり、
1人時間や、お家時間が増えたからこそ、
伝えないと伝わらないこともあります。
あれから20年…
日本人、アメリカ人、世界中の人々が、
人種、文化、国を越えて助け合わなければいけない時代になりましたね。
そんなことを思いながら黙祷しました。
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2021/9/11